■ 2006/08/13 (Sun)  速記雑話 原稿作成

 最近、親しい速記仲間から聞いた話です。

 速記関係の某誌から原稿依頼を受けました。某氏は、原稿作成後、PDFファイルを某会の事務所へメールで送りました。
 PDFファイルには、セキュリティを設定しており、コピー禁止、印刷禁止になっております。
 PDFの原稿が閲覧できるのは、某会の事務所に置いてあるパソコンだけです。
 PDFファイルはコピーできませんので、編集担当者のパソコンでは閲覧できません。

 結局、某氏が作成した原稿はボツになったようです。

 PDFファイルにセキュリティを設定して、編集者へ原稿を送った某氏の発想?には脱帽いたします。我が国の速記界が始まって以来の前例をつくりました。
 速記界では一言居士の某氏ですから、編集者に対して何かを伝えたかったのだと思います。
 編集者には、某氏の意図が伝わらなかったようです。

 もし、皆さんが編集担当者の立場だったら、どのように対応いたしますか。
 原稿をボツにするだけだったら、どこの世界でも同じです。速記界ですから、何かよい方法があると思います。

 某氏の名前は、個人情報の観点から伏せておきます。
■ 2006/08/12 (Sat)  速記雑話 古書持ち主の履歴

 速記関係の古書収集は、今でも私の趣味か道楽かわかりませんが、古書店で、速記関係の文献を購入しますと、前の持ち主の名前や購入年月日が記入されている場合があります。

 年代が古い古書ほど持ち主の名前が複数にわたっております。
 蔵書印などを押している場合もありますし、持ち主の名前がない場合もあります。
 
 最初の持ち主、2人目の持ち主等々、私が何人目の持ち主かまでわかります。

 年代の古い古書では、私が3人目の場合は、逆算しても合わない場合があります。
 例えば1882年に発行された本ですと、持ち主が1人目だとわかりますが、私が購入したのは1996年ですから、114年間が経過しております。その間、古書店に置いてありますので、私が何人目の持ち主かわからない場合もあります。
 古書店の名前と住所を印刷しているシールが何枚も貼っている本もあります。
 1人目→古書店→2人目→古書店→3人目→古書店
というぐあいですが、私の手元に来るまでには、古書店で何年間も在庫として残っていたものもあります。
 外国の速記の本の体裁は100年以上の年月を経ていても表紙、紙焼けが少なくしっかりしております。保存状態がよいのか紙質がよいのかわかりません。

 1887年に発行された本を見ますと、最初の持ち主は明治33年(1900年)に購入したことが記入されておりますが、2人目の持ち主は蔵書印を押しております。私が購入したのは1990年ですから、3人目になります。
 最初の人が購入してから、私の手元に入るまでの90年間は、途中で何人かの持ち主がいたと思います。

 私は本を購入した場合は、年月日とゴム印を押しております。

 また、以前の持ち主が本に書き込みなどをしているので、どこまで読んだのか、あるいは学習したページまでわかります。

 前の持ち主が、全く書き込みをしていない本もあります。
■ 2006/08/11 (Fri)  Pitman式について

 Isaac Pitman(1813年1月4日〜1897年1月23日)は、1837年11月5日に最初の著書 Stenographic Soundhand を刊行いたしました。
 ピットマンは、速記法の用途により3つの段階に分けたいと考えておりました。

1.個人型の速記
 数週間の学習で分速50〜60語を書けることが目標。そのために単純で書きやすく読みやすい速記文字にすること。

2.事務型の速記
 ビジネスマンや官吏、学者、文筆家向けに、数ヶ月の学習で分速100語に達し得て、あわせて印刷しやすい速記文字にすること。

3.記録型の速記
 演説などの連続的発言を記録する速記専門家向けの速記文字。分速300語が目標。

 ピットマン式は、創始者の構想とおりに3つのスタイルに分化、発展してきました。
※兼子次生さんの情報を紹介します。
 ピットマン式は衰退して、その枝からティーライン式が出ております。

 以下、兼子次生さん調査資料を紹介いたします。
1837年 ステノグフィック・サウンドハンド
 父音は今と同じだが、その割り当てが違う。

1840年 フォノグラフィ・セカンド・エディション(2版)
 第1回の改良。父音は現在と同じ。世界初の通信教育で「ペニー・プレート」と呼ばれる。

1857年 フォノグラフィ・テンス・エディション(10版)
 現在の母音表記に変わった。

1922年 ニュー・イアラ・エディション
 高速度速記者用に工夫された。10分間朗読で分速250語が試験で達成された。

1975年 ピットマン2000エディション
 ニュー・イアラの修正版。重要でない規則をやめ、学習負担を軽減、オフィス・ワーク用の適度な速さを用意した。
■ 2006/08/07 (Mon)  稲田式の速記文字構成

清音の構成
 ア列×2=オ列
 イ列×2=エ列
ウ列の構成
 ウ÷0.5=ク
 ス×2=ツ
 ノを上に上げてヌ
 ホを深くしてフ
 モを上に上げてム
 ウを濃線化してユ
 ロを濃線化してル

拗短音の構成(逆記法)
ア列に角カギをつけて拗短音1列目(キャ)
イ列に角カギをつけて拗短音2列目(キュ)
オ列に角カギをつけて拗短音3列目(キョ)
※以下同じ

拗長音の構成(逆記法)
ア列に大カギをつけて拗長音1列目(キャー)
イ列に大カギをつけて拗長音2列目(キュー)
オ列に大カギをつけて拗長音3列目(キョー)
※以下同じ

長音(逆記法)
各列に小カギをつけて長音をあらわす。

ンの書き方
小円を逆記してあらわす。〔中根式と同じ〕

詰音
尾部交差〔中根式と同じ〕
※熊崎式では中部交差。早稲田式と同じ。

同行縮字〔逆記法〕
ア=大円 イ=結び大円 ウ=小丸カギ エ=角カギ オ=大カギ

チクシツインキ〔逆記法〕
チ=大円 ク=小楕円 シ=結び大円 ツ=中楕円 イ=中円(大円と小円の中間) ン=小円 キ=頭部加点

助詞縮字法
アリマスは「・」(上段)
アリマシテは「・」(中段)
アリマシタは「・」(下段)
ゴザイマスは「−」(上段)
ゴザイマシテは「−」(中段)
ゴザイマシタは「−」(下段)
※中根式と同じ。

稲田式の図版は「掲示板」へ掲載しております。

 中根式に、熊崎式(同行省略)、ガントレット式(チクシ法)を折衷したような速記方式です。
■ 2006/08/04 (Fri)  資料紹介 稲田式1

 稲田青望「稲田式速記法の基調」(昭和8年8月1日発行 速記教育研究所)を紹介いたします。

「速記術の濫觴と邦語速記界の古今」
 世界における、速記法の濫觴、並びにその創案者が、何人であって、またいかなる人が速記方式によって、具現したるかということの、具象的に録記したる歴史は、寡聞ながら見聞したることがない、また恐らくあるまいと思う。ただ二千有余年前、ローマ奴隷解放者、チロの略記法を濫觴とし、西暦1558年、英国のチモシー・ブライト氏が“characterie”という一書を公にしてより速記法は頓に隆昌するに至ったもののごとくであるが、これまた現に見聞は許されまい、あるいはそれが可能であるとしても、今その起源について、深く立ち至るの余裕をも持つ合わせていないのである。
 されど、世の速記者と言わるる人において、関知せられたることであろうことは速記の鼻祖に、サー・アイザック・ピットマンありという一事である。従ってこのピットマン式速記法をるる述ぶるには余りにも有名である。1837年英国において、同氏が幾何派一方式を発見これを公にするや、全欧州の速記界を席巻し、既成幾多の速記法も、遂にその影を潜め、ピットマンの右にいずるものをなからしめたことも歴史のよく語るところである。
 かくのごとく、ピットマン独歩の観ありし、欧米速記界に、1888年5月28日、同じく英国リヴァプール市において、ジョン・ロバート・グレッグ氏考案に係る、「ライト・ライン・フォノグラフィー」という一書が発表された。この速記文字は、前者の多角型、印刷的に比して、字態のいわゆる手書き派的にして、手法の自然的なる点においては、前者のそれに比して一日の長あり、現今においては数多くの中、中、専、大学の一課目として教授され、しかも絶対的好成績を挙げていることも争うべからざる事実である。
 翻って我が国速記界をみるに、明治15年10月28日、田鎖綱紀氏が、邦語速記法を、発表してより昨年に至り、満50周年を閲した、その間田鎖式速記法なるものを改良し、あるいは更改し、もって何々式速記法と銘打って発表、実用に供しおらるる、先輩各位に対しては、たとえそれが些々たる新発見
あるいは延長にしてもその努力と速記界に捧ぐるところの誠実さにおいては、満腔の敬意を表したい、殊に田鎖綱紀氏、速記法創案当初において、これを真に実践化し、もってその効果を講せしむるに至った、大先輩、若林玵蔵、林茂淳氏等の隠れたる、功績をも並びに賞したいのである。
 まことにその努力たるや、英国のピットマン式速記法を、かくあらしめた道程において、令弟ベン・ピットマン氏ありて、その功績を万古不朽のものとしたる。それにも超ゆる不屈の努力は、初回帝国議会より、速記法を応用し、速記録を一般大衆に、提供し得たる事跡に微してももその間の消息を雄弁に物語るものとして、その労を多とせざるべからざるものである。
 世人のよく知らるるごとく、我が国速記法の分類を示せば、
  1882年 田  鎖  式(複画)
  1886年 若  林  式(複画)
  1899年 ガントレット式(折衷)
  1905年 武  田  式(単画)
  1906年 熊  崎  式(折衷)
  1907年 丹  羽  式(複画)
  1914年 中  根  式(単画)
  1920年 毛  利  式(草書)
  1921年 大  川  式(単画)
  1925年 北  村  式(単画)
  1927年 稲  田  式(単画)
  1929年 高  橋  式(単画)
  1930年 デ ー ゲ ン 式(草書)
 なお藤本、荒浪等々、数十有余年を算し、かつ列挙式中においては、新旧発表別ありて、1837年、欧州における速記式派の氾濫時代の、それに匹敵するかの観を呈するに至りつつあるが、遺憾ながら質において未だ絶対的という時期に至らない、加うるに弁舌の進歩と、外語の錯綜と相まって、速記はますます困難を来しつつあるが、我々速記者にありては、何らかの手段、方法を講じて、この難局を打開しなければならぬ。
 かくのごとき客観的情勢を前にして、最近にわかに、速記に対して、関心せらるる士の、続出するは、けだし国家のため慶賀に堪えざるところである。ここにおいて我々もまた拱手傍観を容さざるものとして、つとにこれらのため努力を続けつつあり、その第一歩として、昭和3年1月1日を期し、速記法小誌、「速記教育」を続刊、みずから案じたる、単画派速記法を研究するの傍ら、みずから多年奉じたる、熊崎式速記法を再吟味し、かつガントレット式をも、再三の検討に及び、外国速記法は言うに及ばず、ひたすら、象牙の塔に立てこもり、研究を持続しつつあるのであるが、未だ絶対と言うに至らず、殊にみずからの企画するところは、印刷的幾何にあらずして、グレッグ式のそれにも比すべき、手書き派的幾何に重心を置くのであるが、著者みずからが熊崎式速記法を奉じたる関係において、親しみやすき幾何派をまず考究、しかして手書き派に赴くべき前提として下記のごとく、純正単画、稲田式速記法を創定発表したのである。
■ 2006/08/04 (Fri)  資料紹介 稲田式2

「稲田式速記法の発祥と式派の検討」
  A 田鎖式速記法
  B 武田式速記法
  C ガントレット式速記法
  D 熊崎式速記法
  E 中根式速記法
 稲田式速記法創案発表に当たって、第一に叙述しなければならぬことは、本式の発祥的根拠である。日本の速記法鼻祖が田鎖綱紀氏であることは、前述のとおりであって、同式が世界速記の鼻祖、ピットマンの流派をくむこともまた事実である。従って田鎖式以後にあらわれたる邦語速記法はいずれも旧田鎖式の基本文字を更改移植したものであるということは、これまた周知の事実である、もししからざるとしても速記文字に充当すべき線はそれ意外に多くを出ずることが不可能である、ゆえにその線の配列いかんが速記法の優劣を分岐すべき一班の役割を果たすと言えよう。
 しかして何式たるを問わず、現存呼称せられつつある、既成速記法の何々式と称するものは、他式と特異なるなるものがなければならぬ、従って特異と称するものの中、第一基本文字の速記的合理化――即ち、美速の兼ね備えたること及び科学的略法即ち屡用価の多きをもって書記能力に余裕を持たせしむべき特殊性がなければならぬ。
 かくて、稲田式速記法の発祥したる遠因基礎は、もちろん田鎖式より成るものである。しかしながら、稲田式速記法創案組織の理論的根拠は、田鎖式と称すべき邦語速記法の実在を意識しつつこれを更改、理論実践化したるにあり、その道程において、前ページ列挙のごとき、稲田式速記法を発祥せしめた一素因の綜合的母体であるということができる、即ち邦語速記法を、単画派速記法を創始したるものは武田千代松(※原文のまま)氏の、武田式速記法である。次いで中根式速記法である。しかして我が国速記法中、特異なる接頭縮字法(稲田式速記法発祥前においてはこれを速記法と称した)として、文字どおりに千古不抜たるものは、前期中のエドワルド・ガンドレット氏創始に係る、いわゆるチクシ法である、このチクシ法と称する略法こそ現今日本における単画及び折衷二派がその略法として用いつつある最優位とすべき万古不朽の大発見であって、中根式のインツクキ法も一に係ってこのチクシ法にあるということは、余りにも実在化し周知化しているのである。殊にこの実在化したる中根式の縮字法はガントレット式のチクシ法を二倍に屡用したる点は多とすべきである。
 稲田式速記法は以上の式中の長を採り、殊に普遍略記法は中根速記法のインツクキをさらに延用し、加うるに熊崎式の、いわゆる行別縮綴法の理論を採用し、縮字形態はこれを創定、実践化しもって基本文字の簡易平明化したるところが、稲田式速記法構成発祥の理論的根拠である、全面的には田鎖式をくみ田鎖式はピットマンその他外国速記法によるところが多かるべく部分的には基本文字を武田式に普遍略法をガントレット式及び中根式に負い、行別縮字法を熊崎式によるところが多いと言い得るのである。
 いずれの方式においてもその組織の区分的結果においては大差なきものが多い。しかしながら幾何、複画を論ぜずその組織より一貫して流るるところの精神よりすれば大いにこの立脚点あるいは区分的にかなり相違のあるものがある日本語速記法の創始たる田鎖式の新旧両方式は英のピットマン式速記法を筆頭にその他外国速記法中より引用して邦語速記法を制定したるものと伝えている。ことは前叙のごとくである。されば田鎖式はその中の重なるもののいずれかによるところが多くなければならぬが事実は決してそうではない。国語の相違は単に出発点たる基本文字において相似たる点あるは避くべからざる事実であると同時に複画、単画の式別によりてもみずからその赴くところを異にするであろうと同様に稲田式速記法ももちろん先進各式の長を採りしかして自己独創を加えて成したるものであるが、その間は一貫してみずから他と相容れざる組織精神の交流しつつあることはただに稲田式速記法のみでない。
 我々がいずれの速記方式を見ても速記方式の根源を成す曲直大小の線――即ち速記的符号素材は洋の東西を論ぜず合一すべく約束されたるものであるる、従ってここに独創的の速記方式を案出したりともいえどもそのシステムを流るる組織精神――個性ともいうべき他式との獨異性は認むることができるとしてもその根源にさかのぼったならば必ずや出発点たる速記的符号元素においては変わるところがない変わるところがあっては速記方式は成立することができないと言い得るのである。
■ 2006/08/01 (Tue)  速記学習教材 速記レコード教室

 昭和37年8月ごろに「速記の友社」から「速記レコード教室」が発売されておりました。
 中根式速記協会機関誌「速記時代」に広告が掲載されております。

速記練習レコードついに出現!
■検定試験の準備に
■実力を計るために
■速度上昇の練習に
■演説するレコード
速度1,000字 1,300字 1,500字 1,700字 2,000字 2,300字
(国会議事録の4問題を2枚に収録)
フィルム・レコード2枚1組 送料 ¥300

昭和38年2月に第2集が発売されました。速度は
 1,300字 1,500字 1,700字 2,000字 2,700字〔議事録〕
です。速度の表示は10分間換算です。

また昭和38年10月に「速記実務レコード」が発売されております。
☆実務につくための練習に☆
20センチ両面盤
 No.1 平均速度2900字 3100字
 No.3 平均速度3000字 3500字
昭和39年2月に
 No.2 平均速度3300字 3100字
が発売され、「速記時代」へ昭和49年3月号まで広告が掲載されておりました。

 私は「速記レコード教室」「速記実務レコード」を購入しませんでしたが、早稲田速記講座/総合技術課程の教材に「速度練習レコード〈総合盤〉」に直径17.5センチのソノシートが2枚ついておりました。速度は、
 1面が分速100字×1分30秒、分速120字×1分。
 2面が分速150字×2分、分速170字×2分。
 3面が分速200字×3分29秒。
 4面が分速230字×3分30秒。
です。

 昭和44年からのワセダ速記講座/専門課程では、速度練習編として直径13.2ミリのソノシートが5枚ついておりました。分速80字×2分、分速120字×2分、分速180字×2分、分速240字×2分、分速320字×2分が、各2問づつ入っておりました。
 私はレコードプレーヤーよりも、テープレコーダーを先に購入しましたので、速度練習の段階ではほとんど使用しておりません。 



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