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 趣味と道楽における速記の楽しみ方
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 「速記の楽しみ方・おもしろさ」は、「趣味の段階」と「道楽の段階」では異なって
いる。
 「趣味の段階」では、「速記学習の段階」と「速度練習の段階」がある。
 「学習の段階」では、速記法則を覚えることが楽しいかどうか?。まず、この段階を
クリアできるかどうかで、将来的に大きく左右をされる。「義務的に速記法則を覚える、
速度練習をする」というだけでは、速記はつまらないものになってしまう。この段階で
速記と楽しくつき合っていくことを考えなければ、一時的な情熱だけで終わってしまう。

 私が速記を学習した当時は、速記が非常に盛んなときであった。
 文部省認定社会通信教育「早稲田速記講座」を優秀な成績で修了し「文部大臣賞」を
授賞して、その後「速記界に残っている」人は極めて少ない。
 また「社団法人日本速記協会の文部省認定速記技能検定試験の1級」に優秀な成績で
合格し「文部大臣賞」を授賞しても速記界に残っている人が非常に少ない。
 早稲田式では「共練会」が全国的な組織で展開をされていたが、現在では「共練会」
が非常に少ない。
 「共練会」でリーダー格だった人たちも、ほとんどが速記界には残っていない。
 全国各地における高校の速記部では98%以上が中根式を採用していたが、現在では減
少をしている。速記部出身者で速記界に残っている人は極めて少ない。
 これらのことをいろいろな面から分析をすると「一時的な情熱だけで活動をしてい
た」からである。全体的に「速度練習」を中心にした活動しか行っていなかったことも
あるし、アマチュア速記の各学習段階における速記の利用法などについて指導をしてい
なかったからである。また速記に対する一時的な情熱だけで活動をしていたからである。

 速記に対する熱い情熱は継続的なものでなければならない。
 我が国の速記界では「検定試験の1級、2級に合格をしなければ速記の使い道はな
い」「プロでなければ速記者にあらず」という思想が未だにはびこっている。この思想
は根本的に大きな間違いである。この思想こそが速記界を衰退させている1つの原因で
もある。「生涯学習」の立場から考察をすると「速記」はその一部分に過ぎないもので
ある。
 「速記」は、入門段階においても使い方が幾らでもある。日記、メモ等々がある。速
記の使い方は学習者自身がどのように使えるかを探すことも必要なことである。
 義務的な「速度練習」だけでは、速記の楽しさがわからない。日常生活のいろいろな
分野において速記を活用することが最も必要なことである。
 ここまでが、「趣味の段階」である。
 
 「道楽の段階」になると、また「速記の楽しさ」が違ってくる。我が国の速記界で
「道楽の段階」にいる人は非常に少ない。この段階では「速記の腕前」云々の世界では
ない。速記に対して熱い情熱を持続的に持っているかどうかの世界でもあり、「速記道
楽」として、速記を道としてとらえ、どのように楽しむか、という要素が含まれている。

 「道楽の段階」になると、対象は「速記法」「速記術」だけではなく、学問的な分野
まで含んでいる。「速記史」「速記学」「速記研究」「速記教育」「文献収集」等々い
ろいろな分野がある。要は「どの分野に深く関わるか」である。自分の得意な「専門分
野」を持つことである。
 
 「速記の資料」を作成しているときには、作業中には辛いこともあるが、でき上がっ
てみると「今回はうまくいった」という満足感が得られる。しばらくすると「もう少し
違った資料を作成したい」という欲が出てくる。要するに「改訂版」の作成である。こ
の作業を繰り返していると、「資料作成」の楽しさがわかってくるし、速記法則につい
ても深く理解できるようになる。
 いろいろな「速記方式」の文献等も集めて読む楽しみができる。自分が使用している
「速記方式」の体系に取り入れるとができるか?どうかを考えるようになる。法則的に
は取り入れることができなくても、自分が使用をしている方式の「法則体系に抵触」し
ない範囲内で略字的に取り入れることができる。
 それでは「各段階」における作業内容について触れてみたい。
 「第一段階」として、自分が使用をしている「速記方式」の「法則体系」を熟知して
いなければならないし、普段から同じ方式のいろいろな文献収集等をしておく必要があ
る。
 「第二段階」として、普段から「各速記方式」の文献収集等をしておくことである。
この段階では文献の全てを暗記する必要はない。どんな「速記法則があるか」だけを参
考程度に見ておくだけでよい。
 この「第一段階」と「第二段階」における「速記関係」の文献収集が最重要課題であ
るが、普段から「速記関係」の文献収集をしておくことである。
 この作業は1年や2年でできるものではない。何10年もかけて「速記関係文献」を収
集する地道で気が遠くなるような作業でもある。「お金もかかるが時間(年数)もかか
る」ことは言うまでもない。その代償は大きいが「速記関係の文献」だけは手元に残り、
かけがえのない「知的財産」となる。
 「第三段階」として、自分が使用をしている方式の「法則体系」に運用ができるかど
うかを試行錯誤しながら検討して実際に使用をしてみる。
 また、この段階では、自分自身の発想で「新しい法則」を見つけることができるよう
になる。
 「第四段階」として、自分自身が使用している「法則体系」を整理して資料としてま
とめる。
 「各段階」において、一番重要なのが「文献収集」作業である。現在、我が国の速記
界では「文献収集」をすること自体が非常に困難である。
 書店には「速記関係」の本がほとんど置いていないし、古書店でも「速記関係」の本
がなかなか見つからないのが現状である。
 それらの「文献等」を収集するには、速記方式を超越して「親しい速記仲間」をつく
っておくことであるが、その辺の情報を得ることが非常に難しいのが現状である。
 その点、私が速記を学習した昭和40年代初頭には、速記関係の文献等は、書店でも古
書店でも簡単に入手ができたし、各方式の教育機関を通じて入手ができた恵まれた時代
であった。そういう恵まれたよい時代に巡り会っていた人でも、速記関係の文献に興味
を持って収集をしていた人は非常に少ないと思っている。
 古い「速記方式」の本は役に立たないこともないが、「速記方式発達」における「文
献的な歴史的価値」がある。
 
 速記関係の「機関誌」等に、ない知恵を絞って原稿を作成して掲載されたものを「何
回も読み返す」という楽しみ方もある。投稿をする場合でも、人並みの内容を書いても
おもしろくないので、今まで「だれも書かなかった内容」の原稿を作成することである。
それには過去に発行された「機関誌」等を収集して読破していなければいけない。
 私が今まで投稿をして、ボツになった原稿だけでも、本1冊分になる。
 今まで速記関係の「機関誌」に掲載をされた原稿をまとめたらB5判で300ページにな
る。これも原稿を書く楽しみである。ただ、ない知恵を絞って投稿をしても、ほとんど
読者からの「反応」がないが、私は、原稿を書くことも「速記活動」の一環として考え
ている。
 「だれにも邪魔をされずに、自分の世界に浸ることができる」ことが、「道楽の段
階」における「速記の楽しみ方」である。
 ただし、私は「ネクラ族」ではないのでその辺を「誤解」されたくない。

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