速記方式の選択

 速記を学習する場合において、速記方式を選択することは重要なことであるが、初心
者で速記方式を選択できる人は非常に少ないと思う。
 ほとんどの人は、偶然にその方式と巡り会って「選択した」だけのことで、そのまま
その方式を学習しただけである。という人が多いと思う。
 私は、その方式を学習するために、「図書館でいろいろな方式調べた」という人を知
っている。
 また、ある方式の「本」を見たが、どうしてもその方式を「学習する気に」はなれな
くて「別の方式を学習した」という人も知っている。こういう人は、極めてまれな人で
好きな速記方式と巡り会えることができた人である。
 最初からA式をやっていて参考程度にB式、C式のテキストを入手している途中に、
たまたまD式のテキストを入手して、興味を持ちD式を片手間に学習して使用方式を切
りかえた人もいる。
 これは、速記文字の線に対する感覚がその方式と一致をしただけのことである。
 
 ほとんどの学習者は、最初に巡り会った方式を学習して、多少の不便を感じながらも
使用をしているし、ある程度の段階(この段階は人によって異なる)で書きにくい速記
文字等は自分で書きやすいように改良をしている。
 さらに同じ方式内のいろいろな文献を収集して、自分に向いた書き方を取り入れてい
る人もいるが、こういう人は非常に少ない。つまり文献の中から自分の好みに合った法
則などを取り入れて
自分の好みに応じた法則体系を組み立てる人である。
 我が国では、同じ方式内でいろいろな文献収集をして好みの法則体系を組み立てる
とができる方式が少ないと思う。
 
 同じ方式においても法則には、「好きな法則」と「嫌いな法則」などがあると考える
人は極めて少ない。同じ「速記文字」でもAという人には書きやすくても、Bという人
には書きにくい場合がある。これは「法則」の好みである。
 速記学校の同期生でも、同じ言葉を書く場合にはAの法則で書く人と、Bという法則
で書く人がいる。どちらの法則を運用して書いても法則上は間違いではない。自分で書
きやすい法則を選ぶものである。
 
 私には書きやすい速記文字でも、他の人には書きにくい速記文字の場合もある。
 初歩の段階では感じないが、ある程度の段階で自然に感じるようになる。その書きに
くい速記文字をそのまま我慢をして使用をするか、別の速記文字を考えて使うかという
ことである。
 
 他式の法則体系を自式の法則体系に借用する方法もあるが、これは自式の法則体系を
熟知していないとできない。法則体系的に統一ができるか、他の法則体系と抵触をしな
いか、他の速記文字と区別ができるか、全体の速記文字として書きやすいか、基本形と
変化形の形で無理がないか、等々、検討をしなければならない。
 
 逆に自分が習得をした方式を捨てて、新方式を考案する人もいるが、実用化をして、
普及をさせることは至難の業である。たまたま「後継者」に恵まれればよいが、「後継
者」がいなければ、その人が亡くなってしまったらそれで終わりである。その人が著作
物を残していればよいが、著作物を残していなければ、せっかくの研究も後世には伝わ
らない。
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