速記史問題 解説・解答
 
【第1問】
 日本で最初に速記(後の名称)が時事新報に発表された年月日はいつか。
【答】 〔明治15年9月19日〕
【解説】
 明治15年3月に福沢諭吉が創刊した時事新報の第169号(明治15年9月19日)に、楳(うめ)の家元園子(田鎖綱紀の戯号)の「日本傍聴記録法」(ジヤパネースホノグラヒー)という一文が掲載された。傍聴記録法の発明を天下に宣言し、広く同志を募ろうとしたもので、方式の内容には全く触れていない。
 この一文を見て最初に楳の家を麹町元園町の三橋家という旅館に訪れたのが、当時元老院書記生をしていた林茂淳であったと言われている。
 
【第2問】
 日本で最初に速記(後の名称)を発表したのはだれか。
【答】 〔田鎖綱紀〕
【解説】
 田鎖綱紀が明治15年9月19日に時事新報に一文を発表する以前に、速記を研究した人がいた。
 明治8年ごろに松島剛(数年後にスペンサーの「社会平権論」を訳す)が西洋の雑誌でShorthand というものがあることを知り、丸善で小さな本を求めて友人とともに訳し、これを日本語に適用して練習を始め、ある程度書けるようになったが、当時はほかにいろいろ目的があったので、それっきりになってしまった。
 また明治10年ごろに畠山義成(東京書籍館長)が欧米の速記書を見て、2〜3の人と速記(後の名称)の研究に従事し、新符号をつくって世間に公にしようとしたが、出版社が出版に応じなかったために中止になってしまった。
 
【第3問】
 日本で最初に速記(後の名称)の講習会が行われた年月日はいつか。
【答】 〔明治15年11月4日〕
【解説】
 田鎖綱紀による日本傍聴筆記法講習会の開講式が、日本橋通4丁目の小林茶亭(貸席)で行われたのが明治15年10月28日である(日本における速記教育の最初である)。
 速記界では田鎖綱紀の日本傍聴筆記法講習会開講式を速記記念日としている。
 日本傍聴筆記法の講習が始まったのが明治15年11月4日から6カ月にわたり、午前及び夜間に2つの会場で行われた。田鎖綱紀はこの講習会でグラハム式に基づいて創案をした田鎖式を教えた。
 
【第4問】
 現在では速記という言葉が使われているが、速記という言葉を最初に用いたのはだれか。
【答】 〔矢野文雄(龍渓)〕
【解説】
 明治17年2月に矢野文雄纂訳補述「経国美談」後編が郵便報知新聞社から刊行された。本編は矢野が若林玵蔵に口述速記させたものが草稿になり、巻末に、矢野の筆になる「速記法ノコトヲ記ス」という一文と、若林が本編の初めの6行を速記符号で書いたものが訳文つきで掲載された。「速記」という言葉は、このとき初めて矢野が用いたものと言われる。
 
また速記という言葉に統一されるまでには
 傍聴記録法、傍聴筆記法、記音学、疾書術、疾書法、捷書法、略記法、略記術、略書法、早書術、早書法、早書取、速書法、短記法、筆記法、線状筆記、言語速写法、言語写真法、ことばの写真法、言葉の早取写真、話の紙取写真、写言術、写言学、書言学、速記法、速記術、速記学
などと言われていた。
 英語のショートハンド(Shorthand)やステノグラフィーは(Stenography)の訳語である。
 ショートは(short)は「短い」とか「簡単」という意味であり、ハンド(hand)というのは、本来「手」という意味であるが、手で書くところから「書く」という意味にもなり、
さらに転じて「文字」という意味にも使われている。
 ステノグラフィーのステノ(steno)はギリシャ語の stenos (「狭い」という意味)から来ており、グラフィー(graphy)はギリシャ語のgraphia(「書く」という意味)から来ている。
 このほかに「速記」を意味する英語としては
 Phraseography 記音法  Brachygraphy 短書法
 Tachygraphy 早書法  Line-Writing 線書法
などがある。
 
【第5問】
 シャープペンシルが速記用として使われ始めたのはいつのことか。
【答】 〔大正7年1月〕
【解説】
 大正7年1月ごろからシャープペンシルが速記用として使われ始めた。シャープペンシルは電気製品を製造しているシャープの創業者・早川徳次が発明をして売り出したものである。
 
【第6問】
 日本速記協会(後の社団法人日本速記協会)が結成された年月はいつか。
【答】 〔大正9年5月〕
【解説】
 大正9年5月17日に日本速記協会が結成をされた。
 速記者の団体という立場で見ると、貴衆両院速記者を中心とする日本速記会は、明治45年4月の機関誌を最後に、いつとはなしにその活動を停止していた。そのため、大正時代になってからは、当分の間速記者の有力団体というものが存在しなかった。これに対し、大正7年、衆議院の少壮速記者が中央速記会を結成し、翌8年、貴族院の有志速記者が東京速記協会を結成した。大正9年には両者の会員も含めての大きな団体、日本速記協会が生まれることになった。これが現在の社団法人日本速記協会の前身である。
 このときに日本速記協会を結成に導いた動機は、速記料金の協定であった。
 日本速記協会が文部省から社団法人として正式に認可をされたのは昭和40年10月15日である。
 
【第7問】
 早稲田式の創案者はだれか。
【答】 〔川口 渉〕
【解説】
 川口渉が早稲田大学在学中に早稲田式速記法を発表したものである。
 
【第8問】
 早稲田式の発表年代はいつか。
【答】 〔昭和5年3月〕
【解説】
 昭和5年3月に川口渉が早稲田大学在学中に早稲田式速記法を発表し、昭和6年3月に早稲田大学内に早稲田大学速記研究会を組織した。
 
【第9問】
 日本速記協会(後の社団法人日本速記協会)で速記士証を交付する制度が実施された年月はいつか。
【答】 〔昭和26年12月〕
【解説】
 昭和26年12月1日に日本速記協会で、速記記録の質的向上に寄与するため、広く社会に優良な速記者を推薦する目的を持って、適確と認めたものに日本速記協会速記士証を交付する制度が実施された。
 
【第10問】
 日本における速記(手書き速記)の四大方式とは何式か。(C)
【答】 〔早稲田式〕〔中根式〕〔参議院式〕〔衆議院式〕
【解説】
 日本における速記の四大方式は、昭和58年1月の「日本速記者名鑑」には6,267名が収録をされているが、早稲田式が2,336名で37.3%、中根式が801名で12.8%、ソクタイプが786名で12.5%、貴族院式・参議院式が714名で11.4%、衆議院式が675名で10.8%、山根式が164名で2.6%、熊崎式が147名で2.3%、佐竹式が126名で2.0%、田鎖式が74名で1.2%、佃式が56名で0.9%、その他(60方式・式不明)338名で6.2%である。
 手書きの四大方式だけで速記界の72.3%を占めている。
 
【第11問】
 田鎖綱紀が第1回目の講習会を行ったときの有名な4人の弟子とはだれか。(C)
【答】 〔若林玵蔵〕〔林茂淳〕〔酒井昇造〕〔市東謙吉〕
【解説】
 田鎖綱紀が明治15年11月4日から行った第1回の講習会修了者の中で速記で身を立てたのはこの4人であった。
 
【第12問】
 イギリス人で日本語の速記を発表したのはだれか。
【答】 〔エドワード・ガントレット(Edward Gauntlett)〕
【解説】
 エドワード・ガントレットは東京高等商業の英語教師として明治23年に来日した。次いで千葉中学に移ったが、そのころ日本にも速記方式があるかどうかに関心を持ち、田鎖系諸方式の解説書を入手するようになった。まだ改良の余地があることに気づき、ピットマン式の再検討から出発をした。明治32年にガントレット式の解説書「新式日本語速記術」を刊行した。
 
【第13問】
 アメリカのグレッグ式を日本語の速記に応用した方式は何式か。(B)
【答】 〔酒井式〕〔宅間式〕〔日本グレッグ式〕
【解説】
 昭和8年に酒井伍作の酒井式
 昭和10年に宅間清太郎の宅間式
 昭和12年に岡村キクエ、P.H.Burdick(パウル・バアディック)の日本グレッグ式がある。
 
【第14問】
 日本で最初に速記の書物を出版したのはだれか。
【答】 〔黒岩 大、日置 益〕
【解説】
 明治15年9月16日に神田乃武校訂、黒岩大、日置益訳補「議事演説討論傍聴筆記新法」の版権が免許されて、明治16年7月に丸善から刊行をされた。
 
【第15問】
 帝国議会で速記が採用されたのは第何回議会からか。
【答】 〔第1回帝国議会〕
【解説】
 明治23年12月3日に第1回帝国議会の速記録が刊行をされた。
 
【第16問】
 ドイツのファウルマン式を研究した日本語の速記方式は何式か。
【答】 〔毛利式〕
【解説】
 大正8年6月に毛利高範がドイツのファウルマン(Faulmann)式から斜体式の速記方式を研究した。ほかにも斜体式の速記方式が発表されたが、毛利式のように実務者が出なかった。
 
【第17問】
 中根式が発表された年月日はいつか。また何によって発表をされたか。(A)
【答】 〔大正3年5月10日〕〔大阪毎日新聞〕
【解説】
 大正3年5月10日の大阪毎日新聞に、中根正親先生(京都帝国大学土木科1年生)創案の中根式速記法に関する紹介記事が掲載された。
【参考文献】(大阪毎日新聞記事)
〇新案出の速記術、大学生の発明
 京都帝国大学理工科大学の土木科一年生、長崎県長崎市本大工町中根正親(25)は、三高在学中よりの苦学生にて、今は聖護院町上畑酒商、細川初太郎の二階に、ビールの空箱を本棚兼卓子にサイダーの空箱に腰をかけて住まひ居れり。
 同人は、目今、日本に行はるる各様式の速記術を研究し、なほ改良の余地ありと認め、西洋速記術の祖ピットマンの式を日本風に応用することを案出し、実地に応用して好結果を得たれば、山本京大学生監(※学生部長に当たる。山本良吉)聖護院予備学校主辻本光楠氏の賛助を得、九月頃より予備学校内に速記学校を設立すべく、目下準備中なり。此の中根式の速記術は、先年、武田千代三郎氏が発明せる単画式に一歩を進め、且つ、多大の改良を加へしものにして、其特長中の主要なる一、二は
(一)音(おん)の類似せるものには類似せる線を避け、類音の文字の混同せざるやう、安全なる字体を用ふる事。(武田千代三郎氏の式には、ピットマンに許されざる線を用ひあり、不便少なからず、此線は欧州にては、既に六十年前より、速記用線として用ひざる事となれり。)
(二)漢字を音によりて大別すれば、「湖」「他」の如き一音のもの、及び「海」「突」の如き二音のものに大体区別する事を得。而して二音のものの語尾は、大体、インツクキの五音より成れり。されば中根式に於いては、此インツクキ中の一音が語尾となる漢字(音)の書き方を簡単にせり。語尾が、インツクキの音より成る事は、氏の発見なり。而して、此インツクキの語尾を有する漢字を書き現はす時は、語尾の頭部に書く。(即ち、逆に書く。)
日本にて行はるるガントレット式中、「クチシ」の語尾を現はす時、此逆書法を用ふれども、
中根式にては、全部の漢字に之を応用す。
(三)右の結果として、助字の書き方を簡略にする事を得。
(四)ラ行、サ行、タ行、カ行に於いて略記法を用ふ。
其他特色と認むべきもの少なからず。漢字にして二音より成るものが、二字重なる場合、即ち、「愛国」「大学」「新聞」の如きものの略記法は、京都の速記者中、既に此式を応用しつつあるものありと。
 
【第18問】
 中根式の創案者はだれか。
【答】 〔中根正親〕
【解説】
 【第17問】で解説をしたとおりである。
 中根正親(明治23年10月16日〜昭和60年8月16日)
【第19問】
 中根式の大成者はだれか。
【答】 〔中根正世(正雄)〕
【解説】
 中根式速記法創案者令弟・中根正世(正雄)(明治28年8月12日〜平成5年8月22日)である。
 
【第20問】
 中根式の創案者が京都速記学校を設立して、中根式の指導をした年月はいつか。
【答】 〔大正3年9月〕
【解説】
 中根正親が大正3年6月に聖護院にあった予備学校の一教室を借りて中根式速記の指導を開始した(中根式の指導を受けた生徒は6名であった)。
 大正3年9月には同所に京都速記学校を設立した。
 
【第21問】
 中根式の大成者が中根式の普及に着手したのはいつのことか。
【答】 〔大正4年9月〕
【解説】
 中根正世が大正4年9月より、研究・大成した中根式速記法の普及に着手をした。
 
【第22問】
 中根式の創案者が最初に発行した中根式のテキストの書名、発行所、発行年月はいつか。
(B)
【答】 〔書名:中根式日本語速記法(中根式速記法講解)〕
    〔発行所:京都速記学校〕
    〔発行年月:大正5年2月〕
【解説】
 中根式における最初のテキストである。書名は「中根式日本語速記法」であるが、一般的に「中根式速記法講解」と呼ばれている。
 中根式が発表された当時の文献として貴重なもので、原本はこんにゃく版である。昭和56年4月に和文タイプで復刻をしたものがある。中根式速記の研究者及び指導者には中根式の歴史を知るためには必読の書である。
 
【第23問】
 「通俗中根式速記法」を昭和天皇に献上をした年月はいつか。
【答】 〔昭和3年4月〕
【解説】
 中根正世が「通俗中根式速記法」を天皇陛下、皇后陛下、皇太后陛下に献上されたのは昭和3年4月16日である。
 
【第24問】
 中根式速記協会の前身名は何か。
【答】 〔新日本速記学会〕
【解説】
 中根正世が昭和2年11月に新日本速記学会を設立した。
 
【第25問】
 JOBKから中根式の「速記法講座」が放送されたのは年月はいつか。
【答】 〔昭和3年10月〕
【解説】
 昭和3年10月8日から25日にかけてJOBKから中根正世先生の「速記法講座」が14回にわたり放送された。速記講座放送の初めである。
 
【第26問】
 東京の九段下に知事認可の中根速記学校が設立された年月はいつか。
【答】 〔昭和5年5月〕
【解説】
 昭和4年7月に中根速記学校の前身である中根速記学院を東京の九段下に設立をした。昭和5年5月27日に東京府公認となり中根速記学校と改めた。
 
【第27問】
 中根式速記文字大講演会が、東京府と東京市講演のもとに東京朝日新聞社の講堂で行われた年月はいつか。
【答】 〔昭和6年5月〕
【解説】
 昭和6年5月29日に朝日新聞社講堂において「中根式速記文字講演会」を開催。清浦奎吾伯爵、近衛文麿公爵、田中文部大臣、その他より祝辞を受けた。
 
【第28問】
 第1回全国中等学校中根式速記競技大会が行われた年月はいつか。
【答】 〔昭和6年12月〕
【解説】
 昭和6年12月28日に第1回全国中等学校中根式速記競技大会が東京市政会館講堂で行われ、天王寺商業学校(羽間乙彦)が初優勝した。参加選手は18名であった。
 
【第29問】
 森 卓明が「超中根式速記法」を発行した年月はいつか。また発行所はどこか。(A)
【答】 〔昭和6年12月〕〔発行所:京都速記研究所〕
【解説】
 超中根式速記法は各地の中根式速記者に与えた影響が大きい書籍である。
 
【第30問】
 「通俗中根式速記法」の発行所(初版)はどこか。
【答】 〔新日本速記学会〕
【解説】
 中根正世が昭和2年11月15日に新日本速記学会(中根速記協会の前身)から発行された書籍である。後世の中根式速記研究者はこの「通俗中根式速記法」をもとに研究をして発展をさせている。中根式のバイブルと言われる書籍である。中根式の指導者は熟読の書でもある。
 
【第31問】
 中根式の速記に関する講演がNHKテレビで放送された年月はいつか。
【答】 〔昭和29年5月〕
【解説】
 昭和29年5月7日に中根正世の速記に関する講演がNHKテレビで放送をされた。
 
【第32問】
 中根式創案40周年、中根速記学校創立25周年記念式典が行われた年月はいつか。
【答】 〔昭和30年8月〕
【解説】
 昭和30年8月7日に中根式創案40周年・中根速記学校創立25周年記念式典が東京大学内で行われ、中根正親、中根正世、中根洋子に感謝状が贈られた。同日、中根速記協会主催、文部省後援の第21回全国高校中根式速記競技大会が東京大学内で開かれ、高松商業が優勝した。
 
【第33問】
 中根洋子著「中根式速記基本教程」が中根速記学校出版部から発行された年月はいつか。
【答】 〔昭和31年12月25日〕
【解説】
 中根洋子著「中根式速記の基本教程」は中根速記学校の教科書として使われていた。
また中根速記学校通信教育の教科書としても使われていた。
 各省略法の説明が簡潔にされており、使いやすい教科書である。
 
【第34問】
 昭和31年11月20日に青森県弘前市に速記学校(中根式)が設立されたが、設立者はだれか。
【答】 〔設立者:川村秀蔵〕
【解説】
 川村秀蔵は昭和14年10月から昭和20年9月まで中根速記学校で教師をされていた方である。
 
【第35問】
 中根式の大成者が平仮名と片仮名を応用してつくった速記の名称は何か。
【答】 〔即席速記法〕
【解説】
 中根正雄が昭和33年に平仮名と片仮名を応用して創案した速記法である。陸上自衛隊の陸曹教育隊で指導をされている。中根正先生は自衛隊、警察、ロータリークラブにおいて本格的な速記法と併せて講演をされていた。
 昭和47年9月に「簡易速記法」、昭和53年4月に「スピードメモ法」と改められた。
 中根式の指導者はスピードメモ法を熟読しておかなければならない書籍である。
 
【第36問】
 中根式の大成者が平仮名と片仮名を応用してつくった速記の発表年代はいつか。
【答】 〔昭和33年〕
【解説】
 【第35問】で説明をしたとおりである。
 
【第37問】
 中根式の大成者が速記の講演をした総数は何回か。
【答】 〔11,868回〕
【解説】
 大正12年と大正13年の講演記録がないが、11,868回は記録に残っている回数である。
 
【第38問】
 中根式の大成者が最初に速記の講演をした場所はどこか。
【答】 〔長崎県立図書館〕
【解説】
 大正5年7月12日から17日に長崎県立図書館主催「中根式速記講習会」を催した。これを第1回の講演として長崎県警察本部、長崎県警察練習所、佐世保署にて講演を開始した。
 
【第39問】
 第1回全国中根式選手権大会が行われたのは年月はいつか。
【答】 〔昭和7年12月〕
【解説】
 昭和7年12月に第1回全国中根式選手権大会が行われた。全国中等学校中根式速記競技大会とは別の大会であり学生、社会人も参加をしていた。優勝者は福岡商業の石村善左(禧行)である。
 
【第40問】
 熊崎式の創案者が絶賛したという中根式の省略法名は何か。
【答】 〔インツクキ法〕
【解説】
 熊崎式の創案者・熊崎健一郎が「幾多斬新なる法則あるが中にもインツクキの妙用には只管敬服の外無御座候、是等独創的御発明に対し満腔の敬意を表し申候」と推賞した。
 
【第41問】
 中根式の創案者が第4回速記講習会をしたのはいつのことか。
【答】 〔大正8年8月〕
【解説】
 中根正親が第4回夏期講習会を開いた。このときに森 卓明が受講していた。このころから、速記の全てを中根正世に任せた。
 
【第42問】
 中根式と関係のあるイギリスの速記方式は何式か。
【答】 〔ピットマン式〕
【解説】
 中根正親は熊崎式を独習したのであるが、幾ら練習をしても書けなかったので、イギリスのピットマン式(Pitman)から研究をした。
 
【第43問】
 中根式から派生した6方式名は何式か。(E)
【答】 〔岩村式〕〔国字式〕〔超中根式〕〔土田式〕〔中根24年式〕〔長商式〕
【解説】
 昭和5年に岩村学(さとる)の仮名速記
 昭和6年2月11日に古久保峯吉(国字常弘)の国字式
 昭和6年8月に森 卓明の超中根式
 昭和9年6月に土田利雄の土田式
 昭和24年に石村善左(禧行)の中根式を改良した中根24年式→26年式=石村式
 昭和28年に小西佐都志の長商式
がある。
 
【第44問】
 中根式の大成者が中根式速記文字画を最初に作成したのはいつか。
【答】 〔大正12年〕
【解説】
 中根式速記文字画集には「大正12年ごろ」とだけ掲載されている。
 
【第45問】
 中根式の大成者が速記文字画集を出版したのはいつか。
【答】 〔昭和23年1月〕
【解説】
 中根正世著「中根式速記文字画集」が昭和23年1月に東京中根速記学校から発行をされている。
 
【第46問】
 中根速記協会を中根式速記協会と改称したのはいつか。
【答】 〔昭和33年8月〕
【解説】
 昭和33年8月に中根速記協会から中根式速記協会と改称をした。
 
【第47問】
 中根式の大成者が陸上自衛隊で最初に速記の講演をした年月はいつか。
【答】 〔昭和34年12月〕
【解説】
 昭和34年12月12日に陸上自衛隊第四管区総監部(現在の第4師団司令部の前身と思われる。福岡駐屯地)講演を第1回として自衛隊の講演も始めた。
 
【第48問】
 全日本速記教育協会が設立されたのはいつか。
【答】 〔昭和45年4月〕
【解説】
 昭和45年4月に全日本速記教育協会を設立した。
 
【第49問】
 中根式速記協会・機関誌「速記時代」の前身「中根式速記」の創刊号が発行されたのはいつか。
【答】 〔昭和4年3月〕
【解説】
 昭和4年3月に新日本速記学会から機関誌「中根式速記」の創刊号が発行をされた。
 
【第50問】
 森 卓明著「超中根式速記法」の中で、インツクキ法を応用した省略法とは何か。
【答】 〔和語縮字法〕
【解説】
 超中根式における和語縮字法は、当時の中根式速記者に影響を与えたものである。
 インツクキ法を上段に書いて和語の省略をしたものである。
 
 
 参考資料…「速記士法案」へ 

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