中根式速記法講解

中根正親著「中根式速記法講解」京都速記学校(大正5年2月発行)より ※(現代表記に直している)

速記学とはいかなるものか

 社会の制度が進歩するにつれて、速記学のごときも近代に至り長足の発達をなしてきた。

言語と文字は我々の生存上、欠くことのできないものであるが、その文字に関して世界各国とも競うて簡捷なものを求めている。

 日本でも近来ローマ字採用論が盛んになってきたが、そのローマ字を使いならしてきた英国などで盛んに速記文字採用論が起こっているからおもしろいと思う。もう、かの地では実社会通用の文字となって、聖書、小説、その他あらゆる書籍が速記文字で出版せられ、特に実用上実業界では普通文字を駆使してしまっている。日本にいる外人実業家に尋ねてみたら一番よくわかるだろう。彼らは「速記とタイプライターとを知らねば実業家になれない。実業界に入れない」と切言するのである。

 這麼(しゃま=このように)な時代は向後の日本にも来るのである。否、現に迫りつつあるものである。したがって我々は相ともに大なる注意と講究を企て起こさねばならぬ。余は余の式が完璧であるなどとは言わない。ただ幾分在来の諸式より進歩しているというにすぎない。だから、より以上な研究を諸君とともに試みいささか速記界に貢献したいと思っているのである。

 さてこの速記学とはいかなるものであるかというに、これは早く書き綴ることのできる文字そのものに関する科学である。そもそもいかなる文字を用いて、流るるような言語、あるいは思想を書き写すことができるか?これは大いに興味ある問題である。諸君はよろしく思いをここにいたして、拙式をして一層完全なものに改良していただきたい。

 

我が速記界の現状及び方式の分類

 日本の速記界は目下戦国時代である。したがってかのピットマン式が欧米速記界の大勢を支配して速記の絶大なる効果を生ぜしめているのに比べて甚だ物寂しい。

 現在の邦語速記法の諸式を大別して、余は3種とする。次にそれらの様式とこれに属する代表的式を上げる。

  1.複画派  新田鎖式 熊崎式

  2.折衷派  ガントレット式

  3.単画派  武田式 拙式(中根式)

 以上のうち、最も古き歴史をもつのは複画派であって、鼻祖、田鎖綱紀先生は特に敬意を払うべき速記界の大功労者である。なお、ガントレット氏は英人である。

 

諸派短評

 これはできるならばここに書くことを避けたい。もっと堂々と証明的な理論をもって論じたいからである。しかし少なくとも余の式を諸君にお勧めするについてやむを得ず一言述べておく。無論ごく簡単な結論だけである。

1.複画派

 複画派中の新派と称するものはむしろ第2のガントレット式に近づいている。すなわち、複画派と単画派しのまぜ物になってくる傾向がある。これは要するに折衷派並びに単画派の勝利を意味している。この複画派では他の2派に比べて手指の巧妙な運動に依頼し過ぎて、理論的に文字の短縮を行うよりも略字をもって用に充つる傾きあり。あるいは全然短縮、あるいは略字によらずして「ミミズ」書きする。したがって少なくとも2年以上の練習によらずんば成業しがたし。余のごときは高等学校時代(※京都・第三高等学校)より速記練習を試み、数度失敗した。すなわち、入りやすくして成りがたき恨みがある。

2.折衷派

 これは複画派から見ればまさに単画派である。しかし単に単画派から見れば50音図に複画の臭みがある。余はなにゆえにガントレット氏が全然単画にしなかったかを疑い、かつ残念に思っている。しかし内容は到底複画式と称しがたいほどの優秀を認めねばならぬ。したがってこれを折衷派と余は呼ぶのである。ただ余はガントレット氏が50音図に複画臭を付したるため、やむを得ず、あらゆる逆流線を許したるを悲しむ。

3.単画派

 余の式ができる前までに単画派としてはわずかに武田千代三郎(元県知事)氏の武田式が明治38年3月及び4月、日本新聞(※新聞の紙名は「日本」のみ)によりて江湖に紹介せられたばかりで、その当時から今に無識な批評家の毒々しい批評を受けているが、余は現在までの諸式中、最もすぐれた式であったことを断言するのである。余は我が単画派が日本語速記に最適なりと論断する者であって、余がもし忌憚なく理論をもって論破したならば各派は顔色はないのである。

 これらは他日を竢(ま)って論証する。要するに単画派では綴字が最も簡単でかつ明瞭である。複画式は単画派の綴字不明瞭と批評するのが普通だが、いやしくもピットマン式という世界速記界の大権威物が許し用いている線を用いているものが不明瞭とは誣言(※ふげん=しい偽って言うこと)も甚だしいのである。いわんや理論上かえって複画派の方が明瞭ならざることを論証し得るにおいてをやだ。

 とにかく、今後は単画派時代なるべきことを記憶せられたし。次に拙式の特徴の4〜5例を挙げる前に速記法の価値ということについて一言注意する。

 

速記法則の価値

 多くの人は速記は「アイウエオカキクケコ……」等、50音図の書き方さえわかればよろしいという感じがする。しかしその50音図だけ知って、それと略字とでもって1つの速記方式だと思うと大変な間違いである。50音図の符字を制定するくらいのことはだれでもできる。また略字をつくるだけなら幾らでもできるのである。そこで速記法としての価値を論ずる場合には、その「法則」のいかんをもって可否しなくちゃならない。しかしてその法則なるものをあらわすには大小輪(※円)、大小カギ、大小楕円、最小線、交錯線等を用うるのである。したがってこれらを粗末にした派には立派なものができない。

 

中根式速記立案の方略とその特徴

 速記法の価値は法則にありと話したが、その法則なるものは何の要をなすかというに、それは無論字画短縮である。しからばいかなる法則をつくったならば3字が2字であらわされ、また2字が1字縮められるか?

 少なくとも速記というと意義からしてどんな言葉でも簡単に書きあらわしたいのはやまやまであるが、ある場合にやや便利ありと思うた規則そのものがなかなか一般的に融通がきかぬ。これらは各研究者の頭を悩まし来ったものである。そこで余はいささか後学者の研究の便を図り、なお一層の新工夫を斯界に出されんことを期して余の立案の方略を述べてみる。

 我が国で速記研究方略を始めて発表せられたのは我が単画式の武田式あるのみ。次に同派たる拙式がある。少しく速記法研究の経験がある人はよくわかるだろうが、余などが新方式を案出するに要したる努力の半ば以上はすなわちその立案のつくり固めであった。したがっていろいろの速記法則はその立案を満足せしむるに要する手段にすぎない。従来この立案が甚だ軽んじられておった。

 武田式並びに中根式は単画式としてあらわれたただ2つの式なるが、両式と他式諸式との内容比較はむしろ眼を立案に向けらるるよう進めるのである。以下簡単に述べる。

 諸君、日本人は仮名が発明せられるまでは何もかも漢字ばかりで書いていたものだ。したがって日本語のすべては(外国音をも含んで)漢字であらわすことができる。すなわち漢字そのものはそれほど日本文字の竪て糸、すなわち経線である。しかしてこれらの漢字は、ある場合は訓で、ある場合は音で用いられておる。

 そこで余はこの漢字の処分を第一にしなくちゃ立派な法式はできないと思うた。しかして漢字を結び合わせるために助詞が要るし、助動詞も要るし、形容詞語尾も要るのである。(この場合、動詞の語尾の変化は取らず)語尾が日本文をば厳密に観察するにおいて、もし漢字で普通あらわし得るものを取り除いてしまったならば残部は助詞、助動詞及び形容詞語尾であることがわかるのである。もちろんここで助詞というのは一般的の意味をいい、助詞的性質の総称であるとすれば「日本語は口語体、文章体とも、漢字の活字と助詞的仮名活字とをもってあらわすことができる」といえる。

 これが余の立案中の骨組みである。次に漢字と助詞的仮名文字との処分に移ったのである。

 

イ.漢字

 幾万とある漢字が音と訓とであらわされるのであるが、音で読む場合には音数は至って少ないが、訓の場合には音数は大変多くなり、しかもそれが複雑千万で、訓の各音間に特殊の連脈を見出すことができぬ。この不連絡きわまる数個の音をいかなる法則の下に短縮せしめ得るか?これまでの諸式は単画といわず、複画、折衷派といわず、皆、同行短縮をやっている。すなわち同じ行の文字が重なればそれを短縮するというのである。これは記音上非常に苦しい大負担であることを特記しておく。

 この苦しい負担でもってようやくお茶を濁している−いな某々式においてはこの単綴された方が短縮せられた方よりもまさっておるという逆結果さえ生じている。とにかく同行短縮という方法が訓読みの場合の唯一の短縮法として用いられるのである。ところでこれ以外の方法といえばそれはほとんど絶望的と言わねばならぬ。子音速記法などは無論役に立たないのである。しからば余はこの訓読みの難境をいかに開いたか。それは最も奇抜である。

 すなわち「訓読みは音読で書いて翻訳(※反訳のこと)の際は訓で読む」である。例えば「甚」を「ハナハダ」と書かねばならぬときには音読みで「ジン」と書き、翻訳の節、これを「ハナハダ」と読むのである。その他「徒=イタヅラ=ト」「即=スナワチ=ソク」「頗る=スコブル=ハ」などである。これはすこぶる融通応用がきくものである。しかして同一音で3字あるいは4字ないし6字の同音異義をあらわし得られる。これは我が国最初の試みであって、しかも余はこれまで多くの有識者をして、たちまち鉾を折らしめたる得意の立証を有している。

 以上の説明で了解せられたとおり漢字の訓読みは、はや音読みの問題となった。

 諸君、訓読みをそのままにして同行短縮等のこそく手段を講ずるに対し、拙式では短縮の必要なる場合に際し、訓読みを音読に短縮し、かつその音読を短縮するという3段短縮を行うものである。しかも、その上に連続助詞の短縮をやるのである。こうすると4段単綴である。

 例えば 私=ワタクシ=シ  私の=シの  煩=ワヅラウ=ハン  煩うて=ハンて

 ところで漢字の音はいかがであるか?

 余は研究の結果、漢字を音の上から2種類に分けた。

 1.2音よりなるもの  例  戦 形 実  白 劇  純

                セン ケイ ジツ ハク ゲキ ジュン

 2.1音よりなるもの  例  可 孝 苦 不 弓

                カ コー ク フ キュー

    (拗音、長音は1音とす)

 

 かくのごとくして余は漢字のうち2音よりなるものに関し、次の事実があることを知った。これは余の発見である。「2音よりなる漢字の語尾はインツ(チ)クキなり」無論「チ」が語尾となることがあるが、語尾に「チ」を持つ漢字は、また必ず「ツ」の語尾の2音を伴っている。これは漢字典を調べてみたらすぐにわかるだろう。すなわち2つの音はいずれか1つのなまり音でなくてはならぬ。しかして寧楽朝時代(※奈良時代)に「ツ」を「チ」に読みなまったと言われている。

  例 吉=キツ→キチ 一=イツ→イチ 質=シツ→シチ 日=ジツ→ニチ

 

 それゆえ、余は第一に1音の漢字を最も簡単にし、次に漢字の2音のものを最簡にしなければならぬと決心したが、1音の場合は単画が一番簡単であるとした。

 しかして2音の場合には逆記法を用いたのである。

 

ロ.一般助詞的仮名

 これらのうち、最多数は助詞及び助動詞である。しかして形容詞語尾並びに動詞、名詞、代名詞等の語尾変化等は非常にわずかである。殊に動詞、名詞、代名詞の語尾は本画をもってあらわす法が都合がよろしい。例えば 彼等=カレラ の「ラ」は、やはりカレと同様に本画で書いたがよろしい。また形容詞の語尾変化は「ク、シ、キ、ケレ」であるから、これらは漢字の「インツクキ」及び助動詞シ、ケレであらわし得。

 かく観じ来れば助動詞的仮名のほとんど全部は助詞並びに助動詞だということが文字の形観上からいえるのである。よって余は助詞及び助動詞をほとんどことごとく簡単にした。無論余地のある限り動詞、代名詞(※この後は空欄)

 

ハ.イ及びロ以外

 イ及びロ以外、口語体のある動詞、助動詞の略符号をつくった。しかし、これはイロに比べて末梢である。これらの末梢は、はや論ずる要もない。

注意 訓読みの場合に無短縮を助詞で補い得た。

 「インツクキ」の効力は、ただ漢字においてのみならずいわゆる大和言葉にも大なる勢力を持っていることがおいおいわかるのである。

 

結 論

 

 

漢字

拙式立案

 


 

助詞的仮名文字

 


 

助詞類
助動詞類

 

 

特 徴

 上の立案を満足せしむることを工夫したる結果、下のごとき特徴を出すに至ったのである。繰り返していう無短縮のものでも、助詞等を加えた場合には短縮されたのと同結果である。現在までの各派、各式がいかに助詞を軽々しく見たかは賢明な諸君の考究に譲ろう。

 1.「インツクキ」の書き方

 1.長拗音の書き方

 1.50音図の本画の特殊選定(特にサ行、ハ行、タ行)

 1.「インツクキ」組み合わせ法

 1.「長拗、インツクキ」組み合わせ法

 1.長拗法

 1.助詞の書き方

 1.助動詞の書き方(下段使用)

 1.口語助動詞、動詞の書き方(下段使用)

 1.訓読転化法(上段使用)

 1.第一種線及び第四種線の活用

 1.ラ行短縮法

 1.助動詞の連続、助動詞と助詞の連綴

 1.同行「インツクキ」組み合わせ法

 1.成句省略法、その他

 

研究者への注意

 拙式はその立案そのものを中根式と称したいと思う。今後の研究者は第1立案、第2何派をとるべきか、ということを先に研究決定しなくてはならぬ。単画にしても何にしても特に注意していただきたいことは「日本語速記法ではできるだけ多くの日本語の特徴をとるべきであって諸外国語の特徴をも取り込んで、それで世界的共通速記をつくろうとしても、それは無理である」なぜならば各国語はそれぞれ相異なった特徴(音だけではない、言葉の組織上)をもっているから、それらの特徴を皆取り集めるということはできても、その特徴を速記法則中に皆含ませることは到底できない。したがって自国語の特徴をできるだけたくさんとるということも不能になり畢竟無価値のものになるわけである。もっとも各国語の音を綴りあらわし得るようにしておく必要はあるからこれは何の式でもやっているのであるが、他国語速記にも適用せんがため他国語の特徴まで取り含むことは絶対に避けねばならぬ。これはむだ口ながら、こういう野心のある人を戒めておくのである。

(以下略)

 


 

 

立案の根本方針

(※現代表記に直している)

 

中根正世著「通俗中根式速記法」新日本速記学会発行(昭和2年11月15日)より

 以上のほか、いろいろなる書き方については、さらに改めて発表することとし、最後に参考のため、最も重大なる本式立案の根本方針を述べて巻を終わることにしたいと思う。

 既に読者諸君も了解されているとおり、最初50音の基本文字の説明をなして以来、次第に文字を簡単にする方法に移り、まず1音のものを1字化するはもちろん、進んで2音のものを1字化し、さらに進んで次第に数音のものを1字化するの法を説き、ついに最後に至っては、基本文字のみで書いたならば実に十数字になるものすら1字にまとめ得ることなど説き来ったのであるが、いかにしてインツクキが生み出され、いかにして上段、下段がつくり出されたかということなどについては、実は、これには全巻を通じて一貫して流れる立案の根本方針なるものが確立されているのであって、いわば50音の基本文字を始めとして、その他いろいろなる法則は、ただこの立案を満足せしむるための一個の手段にすぎないのである。「いかにしたならば最も優秀なる速記法を案出し得るか」ということは、実に非常なる大問題である。単に50音の基本文字をつくり、また、いろいろなる略字や書き方をつくって、もって何式速記法と称するがごときは、もってのほかのことであって、いやしくも速記法の真価を論じ、式の区別を説く場合においては、何をおいてもまず眼を立案の根本方針に向けなければならぬのである。従来、この点が我が国速記界において軽んぜられていたのは深く遺憾にたえないところである。

 

 ここにおいてか、本式は、優秀なる速記法案出の根本方針として、次のごとき断案を下したのである。

 日本語は漢字と仮名とであらわされるから、この両方を最も簡単にしなければ優秀なる速記法はできない!

というのである。すなわち、言葉というものは音と音との連続したものであるが、日本語は漢字と仮名とで書きあらわされるから、漢字であらわされる音と、仮名であらわされる音とを簡単に書きあらわすようにしなければ、立派な速記法は出ないというのである。これはいかにもわかり切ったことのようであるが、これこそ速記研究上の最も重要なる根本方針であって、まさに本式の骨子であり、本式の神髄にほかならぬのである。しかして今、この立案の根本に立脚して漢字及び仮名をいかに解決したかということを説明しようと思うのであるが、それについては、もはや、読者諸君が十分に承知せられるとおりである。

 

(1)漢字

 幾万とある漢字は、ある場合には音で読まれ、ある場合には訓で読まれ、そうして1字で語をなし、数字連続して後をなすために、漢字をいかに簡単にするかということについては、これからの諸問題を研究しなければならぬのである。

 そこでまず1字1字について音読から考えてみると次のとおり2種類に分かれる。

  (1)1音よりなるもの

      シ  キ  ギ  コー  チュー

      士  気  義  孝  忠

  (2)2音よりなるもの

      セイ  シン  ハツ  キチ  ハク  セキ

      精  神  発  吉  白  赤

     (注意……長音、拗音は1音)

 これをいかにするかというに、まず1音のものは何といっても1字の文字をつくった方がよく、それには従来の他の式のごとく複画基本文字……(基本文字が1本の線でできておらず、文字の終わりに諸符号のついたもの)……よりも、本式のごとき単画基本文字……(基本文字の終わりに何もついていないもの)……の方が簡単でもあり、また立案の上からも最も適当しておるので、かつ、長音、拗音をもその出どころを明らかにして1字であらわす方法を講じ、かくして1音のものは全部1字化の解決を図ることにしたのである。しかして、さらに2音のものはいかにしてこれを簡単にするかといえば、これには実にインツクキという驚くべき大共通点を発見し、次の仮名との関係を考慮して特に逆記法を用いて2音1字化の方法を実現し、ここに漢字の音読の場合はいかなるものといえども、皆、最も簡単なる速記文字の1字に化することができるようにしてしまったのである。

 次には訓読であるが、これは音読の場合と違って音の数が甚だ多いのみではなく、その間にインツクキのごとき特殊な共通点を発見することができないために、これを簡単にするということは実に容易ならぬ問題だったのである。しかし、これについても、既に読者諸君が承知せられるとおり、幸いにして、訓読は音読して上段に書くという平凡かつ有効なる方法を見出し、これまた一挙にしてこの難関全部を簡単にするの道を開いてしまったのである。しかも音読すれば1音と2音とよりなり、既に、おのおの1字化の解決法ができておるのであるから、ここに幾万とある多数の漢字は、実に速記文字のただの1字で書きあらわすことができるようになったのみか、さらに、大インツクキのごときは仮名にまでもその余力を及ぼすことになったのである。

 次には漢字が数字相連続して出る場合である。それには音読のみが連続する場合もあり、訓読のみが連続する場合もあり、また音訓あわせて連続する場合もあるが、それらについては、既に最も重大なる1字1字の処分法が音訓の区別によって根本的に解決されておるのであるから、それに基づいて簡単にする方針をとり、中間小カギや最大線などの任意略法はもちろん、その他、後編の発表に譲ってあるものの中にはこの部に属するいろいろなる処分法があり、数字数音が整然として1字化されていくのである。

 

(2)仮名

 次には仮名をいかにして簡単にするかという問題であるが、これは漢字と同様に取り扱うというわけにはいかない。今、我々が普通一般に漢字であらわし得るものを除いたならば、その残りの大部分は助詞及び助動詞である。そのほか、形容詞の語尾の変化その他若干のものがあるけれども、それほど重要なるものはなく、殊にその中でも、形容詞の語尾の変化……ク、シ、キ、ケレ(以上文語体)、ク、イ、ケレ(以上口語体)などは、インツクキのイクキや、助詞標のシ、下段略字のケレ(助動詞)を応用して書きあらわすことができるのであるから、ここに仮名を簡単にするということについては、その大部分を占め、かつ最も重要なる助詞及び助動詞を主として簡単にする方法を講じ、大体において助詞は文字の末尾、助動詞は下段略字を利用することにしたのである。

 

(3)漢字と仮名

 なお、漢字と仮名と相よって句をなし章をなす場合は、これにはインツクキのごとき共通点を見出すことができないために、わずかに中間小カギ、最大線などを用い、また章句省略法のごとき特殊な常識的任意略法を設けることにしたのである。

 

 以上は、実に日本文の組織の根本に立脚して日本語の構成をきわめ、邦語速記研究に対して下された根本的立案の大鉄案である。したがって、既に立案の根本方針にして確立されたる以上、これに付随するもろもろの問題は、いわばただ末節にすぎないのであって、読者諸君が静かに研究の跡をたどってみたならば、本式が果たしていかなる方針の下に立ち、いかなる方向に向かって研究の歩を進めておるかは、おのずから了解せらるべく、しかして本式が特に「中根式」なる名称を付しておるゆえんは、実にこの侵すべからざる根本的立案の方針そのものにあるということを特にこの機会に明言しておきたいと思うのである。

 


 

 

中根正世著「中根式速記」中根速記学校出版部発行(昭和29年9月15日)再版より

 どうしたら最もよい速記法が案出されるか?この最も重要な根本問題に対して次のとおり解決を与えたのであります。すなわち

 日本語は漢字と仮名とで書きあらわされておるのでこの2つを簡単にしなければ優秀な速記法は生み出されない。

というのであります。これは何でもないようでありますが、これが最も重大にして、しかも従来漠然としていた日本語の速記に対する1つの大きな指針を与えたものであるとともに、この中根式立案の根本方針であるのであります。恐らく今後種々な速記が案出されるとしても、それはこの中根式の立案方針によらなければ立派なものは生み出せないだろうと思われるのであります。

 

漢 字

 そこでこの立案方針によってまず漢字をどう処分するかというのであります。漢字には次のとおり訓読と音読の場合があります。

  (訓読) 私…ワタクシ 東…ヒガシ  盛…サカン  国…クニ

  (音読) 私…シ    東…トウ   盛…セイ   国…コク

 また音読の場合は1音と2音からなるものとがあります。

  (1音) 私…シ 義…ギ 東…トウ 教…キョー 処…ショ

  (2音) 盛…セイ 新…シン 烈…レツ 吉…キチ 国…コク 石…セキ

 そこでこれらを皆解決しなければならぬのでありますが、次のとおりに処分したのであります。

〔音読の場合〕

1.1音からなるもの……1字で書く文字をつくる。

 長音や拗音など普通の仮名で書けば2字または3字書きますが、発音するときは一口で発音するので音は1音であります。これは基本文字の速記仮名をつくり、さらに長音、拗音の書き方を定めて1字で書くことにしたのであります。

2.2音からなるもの……インツクキ法により1字化する。

 不滅の鉄則インツクキを発見してこれにより2音1字化を図ったのであります。

〔訓読の場合〕

 訓読は音数もまちまちであるため、これを法則により1字化することはなかなかのことでありますが、幸いこれは音読して書くという方法を見出したのであります。音読すれば1音か2音となって上記のとおり、既に解決できておるのでありますから、これで漢字は一応解決することができたのであります。

 

仮 名

 仮名には助詞、助動詞、助詞や形容詞の語尾の変化その他若干ありますが、この中、最も重要なものは助詞と助動詞であります。そこで助詞はそれぞれ必要な助詞符号を定め、助動詞は下段略字をつくってこれを解決することにしたのでありますが、形容詞の語尾の変化……ク、シ、キ、ケレは、クとキはインツクキ法を応用、シは助詞符号、ケレは下段略字を応用すればこれも都合よく解決されて、ここに仮名の処分も一応済ませることになったのであります。

 以上により漢字と仮名とをこうして処分する方針をとったのでありますが、これらの諸規則を十分活用するために、従来の複画式基本文字(線の終わりに円や楕円や直線などをつけた複雑なもの)をやめ、単画式基本文字といって線の終わりに何もつけない簡単な新式の基本文字をつくり、さらに長音、拗音の書き方を定め、進んで助詞、インツクキなど種々の書き方を定めて、ここに従来の速記とは似たところ1カ所もなしと言われるほど、全然異なった独特の新式を案出することになったのであります。そうして今なおこの線に沿うて各種の研究を続けつつあるのでありまして、この本以外のものは機関誌やその他で発表することにいたしたいと思っております。