中根正親 なかね・まさちか(明治23年10月16日〜昭和59年8月16日)

 明治23年10月16日、長崎県島原市で、父・正秀、母・チョウの長男として生ま れた。姉・智嘉穂、弟・正世、妹・武子の4人兄弟。

 明治44年に、第三高等学校在学中に京大嘱託速記者・松川梅賢の英文速記の読 み手となり、その間、熊崎式を練習するが書けずに断念した。2年間をかけてピ ットマン式から再検討して中根式を完成。この間、基本文字を17回変更している。

 中根式の特徴は、基本文字は母音と子音を対等に扱い、基本文字の頭部に大カ ギを逆記してウ・オ列の長音、ア・イ・エ列の拗音をあらわし、さらにインツク キ法を逆記法であらわし、助詞符号を順記法であらわしたことである。

「法則をつくることは甚だ簡単であるかもしれないが、法則のうち最も価値ある 法則をつくるということは比較的困難である。速記法則としての価値は、法則の 数が少なくして、その結果が偉大である」
と中根正親が言っている。

 京都帝国大学の山本良吉学生監(学生部長に当たる)の紹介で大阪毎日新聞記 者・岡崎鴻吉が取材して、大正3年5月10日の大阪毎日新聞に「新案出の速記術、 大学生の発明」として中根式速記法が紹介された。

 熊崎健一郎が中根式の資料を取り寄せ、
「幾多斬新なる法則あるが中にもインツクキの妙用には只管敬服の他無御座候、 是等独創的御発明に対し満腔の敬意を表し候」
と推奨した。

 大正3年6月、聖護院にあった予備校の1教室を借りて中根式の指導を開始し たが受講生6名中で、後の京都市会議長富森吉次郎が一番成績がよかった。同年 9月、同所に京都速記学校を開設した。

 大正5年2月に「中根式速記法講解」を京都速記学校から発行した。同年8月 に「第1回夏期講習会」を開始。

 大正7年7月26日に「第3回速記講習会」を開催。小林清次、岩村学が受講し た。

 大正8年8月に「第4回速記講習会」を開催し、森卓明が受講した。このころ から速記のすべてを令弟・正世に委ねた。同年の年末に速記界を引退して「要体 教育」に専念した。

 大正4年に聖護院に京都正則予備学校(両洋中学の前身)を設立して校長に就 任した。後に幼稚園、小学校、中学校、高等学校まで一貫した両洋学園に発展し た。

 昭和27年9月23日の「日本速記発表70周年記念式典」で、中根式創案者として 表彰された。

 昭和59年8月16日午前11時に老衰のため京都市左京区の京都博愛会病院で永眠 した。享年94歳だった。

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