「議事・演説・討論傍聴筆記新法」の著者
 
※校訂者・神田乃武(後の英語学者。明治4〜12年米国で学ぶ。このころは24歳で、東大予備門の教諭をしていた)
 
かんだ ないぶ(1857〜1923/安政4年2月〜大正12年12月30日)英語学者
 
 東京の生まれ。神田孝平の養子。初め開成所で英語を学び、1868年(明治1年)大学南校に入学したが、1871年孝平の兵庫県令赴任に同行し、大阪の緒方塾で高峰譲吉らと英学を修め、半年余で帰京した、のち森有礼の米国行きに託されて渡米し、帰国後大学予備門、東大教授などを歴任。1899年東京外国語学校長となり、英語教育に努めた。その間、1890年外山正一らと正則中学校を創設。1910年貴族院議員。1921年ワシントン会議全権随員。我が国英語教育の開拓者として知られる。英語教科書・辞書などの執筆が多い。
出典:新版 世界人名辞典 日本編(株式会社 東京堂出版)
 
 
※訳補者・黒岩 大(周六、涙香。このころは22歳で、新聞記者をしていた)
くろいわ るいこう(1862〜1920/文久2年10月29日〜大正9年10月16日)新聞記者、翻訳家。
 高知県の生まれ。本名は周六。慶大中退。1883年以来「同盟改進新聞」「日本たいむす」「絵入自由新聞」「今日新聞」(のち都新聞)などで活躍し、藩閥政府攻撃を行う。1892年万朝報を創刊。また翻訳家として知られ、探偵談の翻訳・翻案を新聞に連載、多くの読者を得た。代表作は翻訳小説「噫無情」「厳窟王」「鉄仮面」など。論文に「天人論」「人生問題」がある。
出典:新版 世界人名辞典 日本編(株式会社 東京堂出版)
 
※訳補者・日置 益(後の駐独大使。このころは23歳、東大卒業前である)
 後に大正3年から5年までシナの特命全権公使であり大正9年から13年までドイツの大使となった人である。
 
 
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