貴族院と「昭和式」 某所から「昭和式速記文字」のガリ版刷りの資料を入手しました。 考案者は参議院記録部の古川善吉良さんです。 古川さんは貴族院速記練習所第7期生で、大正13年5月に木下蔭高さんから田鎖式系統を習いました。 考案年代は、参議院速記者養成所で単画式、折衷式が指導された前後と推定しております。
貴族院と速記方式の変遷を縦軸にして、「昭和式」をQ&A形式で解説いたします。
明治23年11月29日から昭和22年5月2日です。
大正7年5月から昭和22年4月 第1期から第27期までです。
田鎖式系統の複画派方式(教授者系統図) 貴族院の期は@ABで表示。参議院の期は123で表示。(1期から40期まで)、赤字は単画式。41期以降は折衷派の統一式です。 出典:貴族院速記練習所・参議院速記者養成所八十年史
林茂淳の方式は、初期の田鎖式ですが、(Q3)の系統図のとおり若林玵蔵と佃与次郎の門下生が、貴族院速記練習所の教官を占めております。
複画式は1、2、3、4、5、6期、単画式は4、7、16、19、22、24、37期。折衷式は5から40期までですが、同時期に単画式と折衷式のクラスを分けて指導しておりました。 折衷の統一式にした理由は、担任の持ち上がり制を廃止するとともに、符号統一への動きも始まりました。
森山波蔵の森山式と似た線(森山のヤ、ユは古川のフ、ホを始め他の線に拡張応用)を使用しておりますが、 考案された時期は戦後と推測できます。年齢的には40歳以降と思われるので、速記の現場から離れていたと推測できます。50音と拗音だけですので、法則的に構成されていた確認ができません。 古川善吉良(明治39年9月から昭和47年3月5日)は、貴族院速記練習所の第7期生ですので、大正13年5月入所、大正15年4月卒業。卒業後、貴族院速記課に奉職。 古川は森山波蔵(明治15年8月から昭和36年6月、大正10年6月速記技手任官。日本速記五十年史で、昭和8年まで確認済み)とは同時期に貴族院速記課に奉職していたので、 森山式についての話を聞いたり、森山波蔵著「新式速記術講義録」(新速記術講習会、大正5年12月発表。系統・縮字法、文語体略字は熊崎式、後字、句読標は丹羽式)を見たことがあると推測できます。 日本速記五十年史には「石川善吉良」と掲載されておりますが、「古川善吉良」の誤植です。
*質問者は相棒、回答者は管理人です。 |