2004/08/15 (Sun) 拾い読み 研究ノート
 昭和40年10月に関西大学速記部から「研究ノート」というテキストが発行されております。
 関西大学速記部は山根式ですが、当時は中根式も同時期に行われていたようです。
 プライバシー保護の観点から実名をアルファベットにしました。
 
「序」
 このノートの編集に当たっては「通俗中根式速記法」「学生の速記」を一応学習した者を対象とした。またこのノートが学習者自身の独習並びにLeaderの手引きとなるようにも気を配ったが、各省略法の原則も簡単に述べ応用できるようにもした。
 しかし、助動詞、和語名詞その他論議がかわされている最先端の研究は学習者の妨げとならないよう省いた。
 このノートの底流となるのは、神戸の稲垣正興氏、香川の植田裕氏のもので、ここではそれぞれ特色あるものを多く引用した。
 振り返ってみると関西大学速記部においては中根式の者が余り伸びていなかった。そこで、もっと上達するようにとこのノートをつくり始めたわけである。
 初版は1963年にK、T、Hが中心となって発行したが、今回それも少なくなり、また不備な点も多かったので改めて企てることになった。
 なお、今回はK、Sが執筆、編集に当たった。
 
 「後書き」に
 案外ガリ切りという仕事は辛いものである。原稿を書くのでうんざりしたくらいなので、ガリ切りは大変だった。切ったあとからすぐ刷ったやつが追い打ち、だからてんてこ舞い。できてみると、不満足なところばかりでお恥ずかしい次第となった。
 粗末なものだが、これを私(K)の置きみやげとして我が関大速記部に残してゆきたいと思う。
 40.10.21 速記士 T.K
 
と、書かれております。B5版で46ページのものです。私は昭和44年5月に速記界の大先輩K.Yさんからこの「研究ノート」をいただきました。
 
 その後、13回の引っ越しを繰り返しましたが、現在でも手元に残っております。この「研究ノート」を見ながら、いろいろな速記法則があることを知りましたし、テキストの作成方法について参考になりました。
 
 「研究ノート」の中で、特に印象に残っている言葉は「案外ガリ切りという仕事は辛いものである。原稿を書くのでうんざりしたくらいなので、ガリ切りは大変だった」というくだりです。
 
 Kさんが書かれているとおり、速記の資料を作成しているときには、途中でやめたいと思うことがあります。資料作成は非常に地味な作業です。私の場合は1人で作業をしますから、時間的に追われることはありません。
 1ヵ月かかろうと1年かかろうと気にしないで暇を見ながら行えます。
 現在ではパソコンのおかげで国字を書く手間が楽になりましたが、速記文字は手書きで書きます。
 
 一度でもテキスト作業を経験された方は、テキストの作成にかかる時間と手間が地味な作業だとわかると思います。
 
 ガリ版で作成したものは、1回の印刷で原版はお終いです。私もなれない鉄筆で原紙を切る作業をしました。B5版で7ページの資料ですが、作業中は辛く感じました。
 
 昭和46年3月以降は、ケント紙で原版を作成して青写真でテキストを作成するようにしました。
 ワープロを使用するまでは手書きの作業でしたが、下手な国字が後世に残ることの方が辛かったと思います。
 
 
2004/08/05 (Thu) 読後感 速記曼荼羅鉛筆供養
 竹島茂著「速記曼荼羅鉛筆供養」の上下巻を「速記史」として読むか、あるいは「大河内発五郎伝」として読むかによって、読み方が変わってきます。
 著者は昭和40年代前半に古老と言われる速記関係者から聞き書きをされておりますが、この調査力と費やしたエネルギーに対して驚嘆をします。
 聞き書き調査から30年以上経過した今日では、当時、調査に協力された速記関係者のほとんどが物故者になりました。速記史として非常に貴重な資料です。
 
 1人の人物について調査するために、複数の速記関係者から聞き書きをしておりますが、我が国の速記界では、この時期を逸したら古老と言われる速記関係者は物故者になり、永遠に当時のことがわからなかったと思います。
 
 速記史として読む場合でも、「日本速記八十年史」及び「日本速記百年史」は速記通史としての価値はありますが、「日本速記五十年史」は、前書とは編集の趣旨が違います。
 
 また「速記曼荼羅鉛筆供養」は、速記通史には書かれていない速記史の裏面をまとめておりますし、後世の速記関係者には速記史としていろいろな事実を知ることが多くあります。
 また、大河内発五郎を中心とした同時代の速記者群像などがわかります。
 
 「日本速記五十年史」には、古い速記関係者の名前が掲載されている程度で、どういう人物だったかまで知ることができません。
 
 「速記曼荼羅鉛筆供養」では、いろいろな速記関係者の聞き書きからある程度の人物像がわかりますし、掲載されている写真などを見て、こういう人なのか、ということもわかります。
 大河内発五郎は、速記者としては型破りの人物で、速記界では敵も多くいたようですが、逆に門弟の面倒もよく見たようです。
 大河内は今村次郎について講談速記から速記者としての生活が始まり、佃与次郎の門に入って新聞速記者、衆議院の速記者を経て、最後は新講談という分野で活躍をしました。
 また速記界の大同団結ということで日本速記協会の設立でも活躍しますが、現在の社団法人日本速記協会とは設立当初の趣旨は違った面もあります。
 私も高畠政之助の名前ぐらいは知っておりましたが、大河内発五郎と兄弟だったことは意外でした。
 
 講談社のOBで「講談五百年」をまとめた、佐野孝(本名・中村博)は、大河内発五郎に対しては手厳しい評価をしておりますが、編集者側の言い分は、晩年における新講談作家・大河内発五郎の一面がわかると思います。
 
 「速記曼荼羅鉛筆供養」下巻の373ページには「佛説沙布禮経」が掲載されておりますので、書名の由来がわかります。速記史の文献等で「鉛筆供養」が行われたという記述が掲載されている程度です。
 「鉛筆供養」の記事を見ていると、参加した衆議院の速記者は、かなり羽目を外していたようです。
 また「佛説沙布禮経」を読むと、何カ所か「経典」の一部分が使用されております。
 
 「日本速記年表」などを併せて読むと「速記史」についても深く理解ができると思います。
 
 
2004/07/30 (Fri) 新刊情報 速記曼荼羅鉛筆供養 上巻/下巻
 竹島 茂著「速記曼荼羅鉛筆供養」―大河内翠山と同時代の速記者たち―上巻/下巻が発行されました。
 上巻は平成16年7月1日発行/下巻は平成16年8月1日の発行です。
 
「著者の言葉」より
 私の書いた本は大体、速記関係者以外の方々が興味を持って読んでくださっています。7月1日、発行の時点で既に300冊の予約が入っていました。大河内翠山の名前を知る方は70歳以上でしょうが、この方は大正時代から昭和初年にかけて講談社の諸雑誌に膨大な読み講談を書いた人です。講談速記者からスタートし衆議院の速記者採用試験に合格、その後、大阪の朝日新聞で速記者として活躍しますが、内職がバレてくびになり上京、衆議院速記者として働くかたわら、講談社のライターとしても大活躍するのです。この人を中心にすえて大勢の速記者群像を描きました。1人ひとりの速記者になるまでの経過とか、仕事ぶり、速記観、そして仕事の取り合いをめぐる奇々怪々の出来事など、私としては全力投球で書いたつもりです。多くの方々に速記について知ってもらいたいと思って書きました。多分、皆さんにも興味を持ってもらえると思っています。(竹島)
 
 申込先
〒305−0033 茨城県つくば市東新井16−2−107
 株式会社STEP(ステップ)
 電話(029)858−0376/FAX(029)855−5932
 定価 上巻(B6版 303ページ) 2,500円
    下巻(B6版 399ページ) 3,200円
 
 残部僅少につき、お早めにお申し込みください。
 
 著者の竹島さんは、中根速記学校出身の速記者で、現在は東京速記士会顧問/全国速記士団体連合会顧問を務められております。
 
 大河内翠山(発五郎)の名前は「日本速記百年史」等に掲載されております。速記史関係の資料には登場する有名な方です。
 
大河内発五郎(翠山)
 明治13年2月5日東京都生まれ。今村次郎門下。初め講談落語の速記に従事したが、一時衆議院に入り、後帝通、大朝等を経て、大正3年また衆議院に勤務、昭和3年7月退職。その間、講談落語速記に敏腕をふるい、あるいは新講談を執筆し、口演もしていた。衆議院退職後は講談全集の編集に専念。協会の創立には当初から参画し、8期連続幹事に選ばれた。現東大経済学部長大河内一男氏は氏の長男。昭和13年11月18日死去(59歳)
※昭和28年度 日本速記者名鑑 日本速記協会(昭和28年10月28日発行)より。
 
 元・東大総長・大河内一男(経済学者)氏の父親です。
 「速記曼荼羅鉛筆供養」は速記史の資料として、読む価値は十分にあります。
 速記関係者には、ぜひ読んでいただきたい「管理人」がお勧めする1冊です。
 
 
2004/07/30 (Fri) 速記雑話 浪曲で速記の練習
 速記史をひもといてみると、明治時代には「講談速記」が盛んに行われていたと伝えられております。
 大正時代になって講談速記が衰退しております。当時は講談師と出版社との間でいろいろなことがあったと伝えられております。
 
 私の速記仲間に浪曲が好きな者がおりまして、双葉百合子の歌謡浪曲を録音しておいて速記の練習をしていた者がおります。現在でも速記界にいる方なので、プライバシー保護の観点から実名は伏せます。
 
 彼の言によると、入院中は暇でやることがなく、たまたまラジオで浪曲を放送していたので、暇を持て余して速記の練習をしていたとのことでした。
 何回も練習をしていてしまいには、次の言葉がわかるようになったとのことでした。
 これこそ、趣味と実益をうまく活用した?速記の練習だったのではないでしょうか。
 退院後は、浪曲は余り聞かなくなったようです。彼が言によると、他の浪曲師の浪曲よりも双葉百合子のものが一番書きやすかったそうです。
 双葉百合子の声がはっきりしていたことと、速度が速くもなく遅くもなく手ごろの速度であったそうです。彼は当時、20代後半の若者?だったようです。
 彼は音痴でしたから、さすがに浪曲の方はうならなかったと伝え聞いております。
 
 先代・広沢虎三の浪曲「清水の次郎長伝」は、速記の練習よりも浪曲を聞いている方がおもしろかったと言っておりました。
 
 
2004/07/26 (Mon) 速記雑話 英訓換記法
 私の速記学習時代ですが、中根式速記協会北海道支部長の紹介で支部員のI.Nさんを紹介していただきました。
 3人でO市のスナックだったと記憶しておりますが、I.Nさんに速記文字の質問をしたことがあります。
「“私”は上段に“シ”と書きますが、“アナタ”という速記文字はどのように書きますか」
I.Nさんは間髪を入れずに
「上段に“イウ”と書きます」
「?」
「英語で“アナタ”は“you”でしょう」
「“イウ”ですか」
 
 私も上段に“イウ”と書くことには、気がつきませんでしたが、実際に使用してみると、速記文字が安定をしなくて使い勝手が悪い書き方でした。
 1年もしないうちに、私はK.Tさんから植田裕先生が指導されたノートを書写する機会があり、“アナタ”の書き方はタ行の各行縮記法で“アナつ”という書き方がわかりました。
 ナ行の各行縮記法で書けば“アんタ”ですが、“アンタ”という言葉がありますので、タ行の各行縮記法で“アナつ”の方が速記文字が安定して書けます。
 
 中根式には「上段」の中に“一般上段”“特殊上段”という法則があり、“一般上段”は「訓音換記法」ですが、I.Nさんが言われた書き方は「英訓換記法」?になるのでしょうか。
 
 私は4年後に「中根式速記学指導者用教範」という資料をまとめたので、I.Nさんへお送りしました。
 
 
2004/07/20 (Tue) 拾い読み 読者の声
 平成16年7月20日付け「北海道新聞」の“読者の声”にテーマコーナーがあります。現在のテーマは「塾通い・習い事」です。
 
 札幌市在住の男性(84歳)が投稿しております。プライバシー保護の観点から実名を伏せます。
 
“独学した速記が役に立った喜び”
 私は兄弟が多く、進学は無理だった。14歳で、道内のある地方新聞社の文選工として社会に出た。原稿に合わせて活字を拾うのが仕事で、毎日が国語の試験のようだった。
 入社半年後、速記を使っている記者を見て感動した。そこに社長が通りかかり、「どうだ、やってみないか」と声をかけられた。社長はポケットマネーで速記講義録を取り寄せてくれた。
 帰宅後、毎日、この講義録を教科書代わりに勉強した。やがて国鉄に採用となったが、独習を続けた。その後、現役入隊、旧満州(現中国東北地方)の重砲兵連隊に配属された。
 ある日、連隊本部へ命令受領に行く下士官が急病で、代理を命ぜられた。行くと下士官が10数人いて、初年兵は私ひとり。連隊副官が「復唱」と声をかけるが、だれも声を上げない。そこで私が返事をし、速記のメモをもとに答えた。「よし、よくできた」と褒められる。
 副官が立ち去った後、皆が私を囲んで質問責めにした。「ありがとう」と口々に礼を言われる。1人で学んだ速記が役に立ったと、うれしさが込み上げてきた。
 
と書かれておりました。約70年前に速記を学習されたことが、年齢から推定できます。
 速記の使い方はアマチュアでも十分に使い方があることを書かれております。
 
 ポケットマネーで社員のために、速記講義録を取り寄せた社長もすばらしい方だと思います。
 
 
2004/07/19 (Mon) 速記雑話 統一式/みんなの速記
 社団法人日本速記協会「第二次 21世紀開発委員会」で幅広く討議されておりますが、特に気になるのは「標準方式」「統一方式」「みんなの速記」「手書き速記保存会」についてです。
 
「統一方式/みんなの速記」について
○K委員が、
 「(前略)みんなの速記を本気を出してやるのか打ちどめか、方向を決めていただきたい(中略)そこら辺について決着をある程度つけてもらいたい」
○N副理事長は、
 「ここで論議しなくても、そういう考え方があるということで、今後論議していけばよいと思う」
○委員長は、
 「簡単に決着がつく問題ではなくて、多数決で決定しても不十分な結果になることが心配される」
 
と論議されております。K委員は総会の席でも「統一式」について意見を述べておりますが、我々速記関係者にとって「統一式」をつくる必要があるのでしょうか。
 
 我々速記関係者は既存の速記方式で間に合っておりますし、使用している速記文字をいろいろと改良をしながら使用しております。
 
 中根式には中根式の創案精神があり90年の歴史を有しております。
※当サイト「速記資料館」“中根式速記法講解”及び“立案の根本方針”を参照。
 
 早稲田式には創案の五大綱領があり70年以上の歴史を有しております。
※「速記学習者、このページに集まれ!」“早稲田式の歴史”を参照。(当サイトからリンクができます)
 
 速記学習者が激減したから「統一式」をつくる、「みんなの速記」をつくるという発想はいかがなものでしょうか。
 仮に新方式をつくってもどれだけの効果があるのでしょうか。
 万人が満足できる使いやすい速記方式をつくることには無理があります。
 早稲田式が向いている人、中根式が向いている人、石村式が向いている人等々、各速記方式の速記文字の法則構成に向いているから、既存の速記方式が存在しております。
 既存の速記方式が向かない人は自分で研究しております。
 1つの既存方式で満足できない場合は、同式のいろいろな文献等を収集して自分で好みの法則体系を組み立てて使用しております。
 
 特に速記指導者は、自分で使用している方式における創案精神の理想・理念を捨ててまで「統一式」を指導することはしません。
 果たして「統一式」は何年後に完成するのか、あるいは、指導者の養成はどうするのか、テキストはどうするのか、等々いろいろな問題があります。
 そして、だれが「統一式」を中心になって研究を行うのかという問題があります。
 
 私は「統一式」をつくるよりも、既存の方式をどのようにして指導するかが最優先課題ではないかと思います。
 
○委員長は、
 「簡単に決着がつく問題ではなくて、多数決で決定しても不十分な結果になることが心配される」
と明言されております。何でも多数決で決めればよいというものではありません。逆に多くの速記関係者の反対に遭うことは目に見えております。
 特に速記研究者からは猛反対に遭うことだけは避けられない事実でしょう。
 速記方式は上意下達されるものではなく、個人が自由な発想で研究・改良ができるものでなければいけません。
 「速記の底辺が広がる」かどうかは、速記の普及及び教育方法をどのように行うかです。
 
「手書き速記保存会」について
○I委員が、
 「(前略)手書き速記の伝統も保存するという二本立ての形になっていかざるを得ないのじゃないか」
○S委員は、
 「(前略)手書き速記に関しては保存会でいい」
 手書き速記の伝統を保存する、保存会でいい、という発言はいかがなものでしょうか。
 当サイトでは「速記指導者養成計画案」を掲載しておりますが、
 「我々、符号速記者自身が符号速記保存会という団体をつくらないためには、速記に対する意識を向上させることはもとより、後世に符号速記の後継者を残すという使命と自覚を持ち、アマチュアに対して符号速記を残していかなければならない」
と書いておりますし、現在、手書き速記者が主流を占めている中で「手書き速記保存会」をつくる?という発想はいかがなものでしょうか。 
 
 
2004/07/18 (Sun) 拾い読み 統一式/みんなの速記
 「日本の速記」平成16年7月号には「第二次 21世紀開発委員会記録」が掲載されております。
 当サイトの閲覧者には、社団法人日本速記協会の会員でない方もおりますので、プライバシー保護の観点からイニシャルで概要を紹介いたします。
 文字数の関係で2文書に分けました。
 
「みんなの速記」の普及を
○K委員 私の意見は、きょうも資料を出したし、総会のたびに申しているが、なかなか進まない。それぞれの式があって、長所短所、いろいろある。おれがやったのが一番すばらしいとみんな思っている。それを各自の式をやめて、集中して何百万もの中学、高校生に教えて、その中から1,000人でも3,000人でも書けるプロが残って、記録事務の調整から最終的に文字化、印刷まで責任持ってやるべきじゃないかという発想もある。
 ただ、手書きの符号を統一して「みんなの速記」にすると、今までの創案者とか普及者の蓄積を無視したり、阻害したり、不利益を与える。そこまで協会がすると、創案者の自己実現の生きがいを奪ったりしてしまうのじゃないかと考えて、私も悩むところだ。
 このままの状態だと速記の底辺は広がらない。速記は必要だから消滅はしないが、ふえない。「みんなの速記」とか統一符号が玉虫色で重なっている。統一符号では地方のいい式が埋没してしまうとか、不利益になっていくので、ああでもないこうでもないと数年間言ってきたが、その辺、「みんなの速記」を本気を出してやるのか打ちどめか、方向を決めていただきたい。やらないならやらない。やるならばどういうふうにやるか、かくあるべき、こうありたいと理想を掲げて、現実はこうだと、このギャップをどう埋めていくのか。そこら辺について決着をある程度つけてもらいたい。
○委員長 今、標準方式、統一式、「みんなの速記」、1つの方式を新しくつくり上げて国民みんなが使える第三の文字のような速記を考えて、普及しようという構想に対しての御意見を聞かれたが……。
○N副理事長 ここで論議しなくても、そういう考え方があるということで今後議論していけばいいと思う。
○委員長 簡単に決着がつく問題ではなくて、多数決で決定しても不十分な結果になることが心配されるので、優先順位に話題を戻したい。
 
高速入力検定の立ち上げを早く
○委員長 (略)
○N副理事長 (略)
○委員長 機械入力検定を18年4月以降のテーマと考える。
○K委員 今から30年ぐらい前の速記の全盛時代には、N県内の高校で14校、生徒で400人集まって速記の競技会をやつたが、現在速記部があるのはN商業高校1校しかない。そんな状況で高校の速記の生徒をふやすなんて困難だし、やっておる生徒がいないのが実情だ。符号速記を習う人が余りいない。
 しかも日速協でN支部があって、年2回検定試験をやっても1回1人か2人、年鑑で5人受ければいい方だ。受けるとしても、高校3年生の優秀な生徒で3級しか受けられない状態でわざわざ金を出してJ、Kから来る人はあり得ない。分試験場をつくるどころか受験者がいない。
 私は美術専門学校で教えていたが、半年間、週2回やっても分速180字から200字が精いっぱいだ。歯が立たない。全然役に立たない。特技にはならないのが実情だ。
 こんなことでは速記の検定なんかやめて、符号速記は保存会で、ちまちまつと何々式の速記で自分のところへ来る人に教えて、消滅しない程度でいいんじゃないか。情報記録士協会で電子記録士検定でもして、肝心かなめの符号速記がこんな状態でだめてあれば、速記協会という名称自体がおかしいんじゃないか。私はこうなりたくはないが、将来ビジョンに関連してくるから、実情をお話しした。
○委員長 先進国共通に言えることは、速記を学ぶ人が減ってきている現象があって、日本だけが悪いのではない。しかし、速記符号を書く者として後継者に伝えていけないのはつらい。市場ニーズに合っていないから衰退しているという見方は客観的だが、我々自身が努力すべきことを怠っていることもいちいんかもしれない。
 何とか挽回するために、「みんなの速記」というアイデアが出たり、高齢化時代で我々の世代も定年を迎えつつあり、ボランティア的に第二の人生を速記を教えて何とか我々の文化を伝承し続けたい方もいるので、小さな現場での努力が全体となって速記の再生につながる道だと思う。
 
国会速記者の新たな挑戦
○委員長 (略)
○I委員 (前略)
 速記の範囲をどこまで考えるか、Kさんの図がわかりやすいが、手書きのほかにも機械速記、将来的には音声入力、音声でとらえたものを、その後校閲のような作業が必要になる。それをやるのは速記者であ。協会で扱う速記の概念もそこまで広くとらえるように拡大すべきだという気がする。
 後継者育成とか伝統文化の観点からも、すそ野を広げて中学、高校にも教えるということを通じて手書き速記の検定試験は続けていった方がいいるその中心になるのは「みんなの速記」のようなスローガンで底辺を拡大することだ。
 それとは別に、高速入力技能検定試験、きょう出ていた記録士とか記録情報士のようなもの、速記をそこにどう絡めるかは別次元で、校閲作業とか記録作成上必要な知識を問う試験も考えられる。そういつた試験は高速入力とは別に、会議録作成者としての資格を問うような試験が考えられる。協会としてはむしろそっちの方に力点を置いた方がいいのか。一方で、手書き速記の伝統を保存するという二本立ての形になっていかざるを得ないのじゃないか。
 会議録作成ということで、校閲作業とか整文の関係があるが、現在速記をやっておる人にとってはいろんな訓練を受けてできることだが、将来そういう人を養成することは難しいかなという気がしている。今までの手書き速記の検定試験のまま、1級をとれば校閲などの仕事もできる素質は当然あるが、会議録作成者としての教養を身につけるためだけに速記検定1級を受ける人は、かなりのエネルギーが要るから、そうはいかないと思う。
 プロとしての会議録作成検定が一本あって、それとは別に、視点をがらっと変えて「みんなの速記」的に、速記の普及の観点から、今までの手書き速記の検定試験を残すという考え方に分けた方がいいかなと思う。
○S委員 皆さんの意見を聞いて頭の中がごちゃごちゃになっているが、目指す方向は広報活動、業界標準、「みんなの速記」でいいと思う。
 ただ、広報活動はあくまでも仕事の面での広報であって、もし底辺を広げるというのであれば、「みんなの速記」の方にもつながってくる。将来を考えての広報なら、記録作成士とか、もしくは機械速記に力を入れていくのが将来を描きやすい。
 そこで、協会としては何をすべきか。今までのお話を聞いていて、私は手書き速記に関しては保存会でいい。
 あと、ホームページを充実させて掲示板に書き込みがあったら、すぐにレスをつけ、答えを出すとかすればいいのではないか。
 
 
2004/05/21 (Fri) 速記雑話 速記指導者
 私は高校時代から個人的なおつき合いをいただいた東北地方のK速記学校の校長先生がおりました。
 戦前は中根速記学校の先生をされており、速記の指導力がすぐれていた先生です。戦後は東北地方で速記学校を設立されております。
 中根式関係者なら名前を書かなくてもわかると思います。
 
 私が中根速記学校の本科生時代に、中根式の全国大会が行われたときに、K校長先生とお会いして
「速記の指導者になるにはどうしたらよいのでしょうか」
と質問をしました。K先生から
「速記学校を卒業することです」
とご教示いただきましたが、私は肝心な指導者となるための科目を聞きそびれてしまいました。
 
 「速記学校を卒業する」という意味は、速記学校の授業で速記の指導方法も覚えることだと思いました。
 速記法則の指導方法、授業の展開、速度練習の朗読方法等々、単に生徒として速記学校の授業を受けるのではなく、指導をするときには、どのように指導を行うか、ということも含んでいたと思います。
 私は中根速記学校入学以来、先生が速記法則を指導する場合には、特に真剣に聞いておりました。
 速記法則の指導方法及びどの段階で次の法則を指導するかなどを日記につけておりました。
 また速記法則を指導したあとの授業方法も学習してきました。
 
 指導者の場合は速記が書けるだけではなく、速記法則の成り立ち、速記法則の運用方法を知らなければいけないと考え、いろいろな速記関係の文献などを調べました。
 
 そのかいがあったかどうかわかりませんが、いろいろな速記関係の資料収集に興味を持ちました。
 中根式関係のテキストなども精力的に集めましたが、私自身がいろいろな速記法則体系の中で使用してみたい、と思った法則は少ないものでした。
 
 中根速記学校の指導法は開校以来、長年にわたり研究を積み上げてきたものです。中根速記学校の指導法を参考にして、私なりに指導法も研究してみました。
 
 授業時間で基礎になるのは2時間です。この2時間における時間の配分です。
 
 
2004/05/20 (Thu) 速記雑話「日本速記発表○○年」で刊行された本について
 日本速記発表○○周年記念で「日本速記協会」及び「社団法人日本速記協会」から下記の出版物が発行されております。
 また( )のものは協会本部以外のところから発行されております。
 
日本速記発表50年
 日本速記五十年史/日本速記者名鑑
 
日本速記発表70年
 速記年表/日本速記者名鑑/速記の知識
 (速記 研究と回顧:京都速記士会)
 
日本速記発表80年
 日本速記八十年史/速記年表/日本速記者名鑑/速記のしおり
 
日本速記発表90年
 速記歴史<西洋編>
 
日本速記発表100年
 日本速記百年史/速記年表/日本速記者名鑑/日本速記百年写真集/速記の知識
 (ことばの写真をとれ―日本最初の速記者・若林カン蔵伝―:さきたま出版会)/(速記ガイド:速記ガイド編集委員会)
 
日本速記発表110年
 速記符号集
(速記符号文例集:速記懇談会)
 
日本速記発表120年
 日本速記年表/速記関係文献目録/日本速記協会会員名簿/速記の歴史―速記って、なあに―
 
などが発行されております。
 いずれも速記史及び基礎資料となるものであり、速記方式の盛衰を読み取ることができます。
 
 当然のことですが「日本速記五十年史」は、旧漢字及び旧仮名遣いですので、かなり読み応えがあります。