追悼文
平成27年2月20日に、長野県上田市の倉嶋宏(昭和12年7月27日〜平成27年2月20日)さんが満77歳で逝去されました。 倉嶋さんは亡くなる10日前まで原稿を書き、お嬢様に亡くなるその日も、本の内容についての質問に答えております。
倉嶋宏さんの速記経歴は、「丸子式速記」の「私の速記物語」に詳しく掲載されておりますのでご覧ください。 熊崎式の独習から出発して、昭和31年10月と昭和35年9月に大幅な符号変更を行っております。
私が倉嶋宏さんと初めてお会いしたのが、昭和57年8月22日に長野県上田市の「ホテル上田山荘」で開催された「速記科学研究会」でした。 昭和57年8月22日の速記科学研究会で倉嶋宏さんの研究を取り上げました。 日本速記発表100周年にふさわしく、倉嶋宏さんと岡本隆博さんの研究発表が行われました。 速記科学研究会の出席者は、西来路秀男(元・衆議院速記者養成所所長)さん、竹島茂さん、植田裕先生、小関泰章さん、橋詰幸一さん、金子秀重さん、荒木章さん、加古修一さん、岡本隆博さん、私でした。会員外の傍聴者は中島?さんでした。 小谷征勝さんは、体調を崩されていたので欠席しております。(小谷さんに確認済み) 倉嶋さんが「私の速記」と題して研究を発表されました。昭和55年4月までの内容をまとめた速記の資料(B4判 33ページ)を配付されました。 倉嶋さんの研究発表後、懇談会が行われました。懇談会のときに、西来路秀男さんが倉嶋さんの速記方式名を「丸子式」と命名されました。 *西来路秀男さん、竹島茂さん、植田裕先生、小関泰章さん、橋詰幸一さんは、既に故人になっております。 当サイトでは、倉嶋宏さんが長年研究されてきた「丸子式速記」及び「丸子式速記 我が速記道」を掲載いたします。 倉嶋さんのお嬢さん・鈴木良様に掲載許可をいただき、PDFファイルでご提供していただました。 特に「丸子式速記 我が速記道」を読むと、私が考えている速記と同感できるところが大いにありました。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 平成27年4月6日
管理人・菅原 登
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