通俗 中根式速記法

中根正世著「通俗 中根式速記法」昭和2年11月15日 初版発行 新日本速記学会



愛する国家を文字国難より救え!
 
はしがき
 懐かしい母が亡くなってから14年になる!
 慕わしい父が亡くなってからも、早10年になる!
 私は、この本を書きかけてから、どうしたものかよく両親に関連した夢を見たのである。
 あるときは、楽しかった幼いころの思い出にふけって、限りもない懐旧の念にひたり、
 あるときは、跡形もなく消え失せた古里の我が家の辺りをさまようて来し方をしのび、
 さては、恩師のこと、旧友のこと、親戚のことなどに至るまで、常に亡くなった両親を中心として涙の印象をたどり、あたかも鎖のように、それからそれへと夢見つずけたのであるが、しかし、その中でも、今なお、むなしい夢の跡を追いつつ、どうしても忘れかねる一事があるのである。
 今から4年ほど前の秋の暮れごろであった。
 あるとき、2階の奥にある私の書斎……叡山を右手に望む一等見晴らしのいい室に閉じこもって、例のとおり書きかけの原稿を認めていると、いつの間にか、軽い疲れを覚えて、ついそのまま机にもたれてうたた寝をしてしまったのである。
 ところが、思いがけなくも、そこに、懐かしい父と母とがお見えになって、私の手伝いをしてくださっておられるのであった!
 父や母は、私どもが、常に自分の胸の中にそのお姿を描いて、永遠に切なる追慕の標的として守っているものであるからして、私も、最初の間は、さすがにうれしく、懐かしい父母の膝下にいそいそとして原稿の整理に努めておったのである。
 しかし、余りのもったいなさと、そうして余りの懐かしさとの念が高じたために、とうとう、驚いて夢から覚めてしまったのであるが、夢から覚めた……その一せつなに
 あっ!お母さんがいらしったのに!
    お父さんがいらしったのに!
と思いながら、あふれ落つる涙とともに目の辺り両親の幻に追いすがろうとした心持ちは、到底、死すとも忘却することができないのである!!
速記界の振、不振は国運の隆盛に重大なる関係を有する!
「速記学樹立!」
「速記文字の民衆化!」
「速記報国!」
という標語の前には、たちまちにして若き血潮の燃え立つのを覚えながらも、こうして一面には、夢に懐かしい父母に会うてその御護を受けつつ、とうとう産声を上げていくこととなったこの著は、言うまでもなく、実に私自身の真実なるあらわれである。
 殊に、その中でもとりわけ「識者に檄す!」という次の一文に至っては、速記界の不振を慨する一方の真情を披瀝し、最も心血を注げるものであって、実に、速記文字に対する私の根本精神を述べたものである。数年前、ある大新聞に発表しようと思って、この種のものを認めたことがあったとき、戯れて「自分の遺言状」であるなどと口走ったことを記憶しておるが、今こうして書き終わってみると、いかにもそういう感じが切々として胸に迫り、真に無量の感慨に暮れざるを得ないのである。
 今から7〜8年も前だったか、京都の嘉楽(校長三村信氏)、安井(校長石田牧之助氏)の両校青年団で講演したとき、特に6年の男女児童の綴った赤裸々な感想文を恵まれたことがあったが、それはツー実に可憐な少年少女の偽らざる印象記であって、とても感激深いものであったのである。実はその内容は機関誌に掲載したいと思っていたのであるが、参考のため2〜3を掲げることにしようと思う。
(児童の文は文字も文章も原文のまま)
※漢字は新字に改めている。
(安井校6年生 中村欽吾)
「僕は、速記については知らなかつたから、どんなものだらうと思つてゐたが、案外に早く、又かんたんに書けるので驚いた。僕は学校からかへつて後にこんなに考へた。今の日本の国字が大へんにむつかしく、又大そう文字の数の多いのは。日本の文明の発達してゐない事をいひ表はしてゐるものだ。この貧弱な国字を有してゐる日本に、かくの如きかんたん明瞭なる文字の生れた事はひとへによろこぶべき現象である。この速記文字が、たとへ本の国字にならなくても、日本全国に普及すればそれだけ日本の国民が幸福であり、且つ国家の文明の進歩した事になる。」
(嘉楽校6年生 清原保雄)
「あゝ何といふ便利な文字だらう。これこそ文明国のほこりであらうと思ふ。人智の進歩は際限なしとはこの事だらう。字を書くにもすこしの時間を費ひやしてはいかぬ。「それで諸君、私は言葉の通ずるまで此の速記を世の中に広めたいと思ひます」との一言、僕の身にしんだ。そうだ、僕も生命がある限りは先生のこゝろざしをついで、この便利な速記文字を社会のために広めよう。」
(安井校6年生 長谷川政子)
「国を盛大にする速記文字……速記文字とはどんな文字か知らんと学校へくる時も胸に浮かんで気がせきたてゝひとりでに小走りに成つて来る。……皆は紙を出して速記文字をうつそうとしてゐられるのに、私は紙も鉛筆も持つてこなかつたので、お友だちにもらはうと、たづねましたが、誰もくれられません。心配で心配でならないので速記術のお話も熱心に聞かないで、たゞどうしたらよいかと思つて居ました。其の時先生は「うつさないで書いた物をあげませう」といはれました。私は飛び立つ程うれしうございました。其から、私は心配もどこかへにげて行つて、にこにこ顔でお話を聞いてゐましたので、お話のおしまい頃には自分の名も書け又お父さんの名もお母さんのなも自分の住んでゐる所も書ける様に成りましたので、うれしくてうれしくてたまりません。此から先も此の便利な速記文字を日本中の国民が使つていつたならきつと我が国が益々盛んに成るだらうと私は思つてゐます。」
(安井校6年生 守谷健一)
「……私は、速記文字たるものはこれからは速記者たるのみならず、一般に必要なるを非常に強く感じた。私は今この日本の速記界の状態では到底世界を檜舞台として平和の戦は出来ないであらう。私はそれによつて一般の人にこの速記文字の有難みを知らしめたいと思ふ。」
そのほか
「……時間を経済することは一つには国の富をふやす元であります」
「感じた事は六つかしくなくて小さい子供でもすぐおぼへやすくも早く書ける便利な字である」
「日本を文明にするのは、学校学校で速記時間をこしらへて教へるが、一番大切であると思ふ」
「外国では五六歳の子供が速記文字を知つておると言はれた時、僕は、なんとなくうらめしかつた」
「日本中の人が速記文字を学ばゝ外国におとらない程文明になる」
 
などそのほかに種々あるが、どれを見ても皆尊い知己の言のみである。これら愛すべき可憐なる印象記も、あるいは人によっては何等の値をも見出されないかもしれないけれども、しかし、少なくとも、私にとっては決してそうではない。真に、心からの感激なくしては到底読み得なかったのである。
 自分の知己ともいうべきこれら可憐なる少年少女は、自分にその行くべき道を教えてくれるのである!
 自分をむち打ってくれるのである!
 自分は、これらの少年少女の期待に背きたくはない。
 死をとしても絶対に背きたくはない!
 そうして自己の生命というものを背景として「速記学の樹立!速記文字の民衆化!速記報国!」という標語を思うときには、自ずから最も厳粛にしてね最も沈痛なる気分に打たれ、たとい、自分の魂が消え、自分の肉体が滅びることがあっても、何ら惜しむところではなく、その最後の断末魔に至るまでも「速記速記、速記なるかな!速記なるかな!」と絶叫し続けていきたいのである!
速記文字は実に文字中の宝玉である!
 「宝玉!?」
 宝玉と言えば、あるいは余りに誇張した言葉のように取られる人があるかもしれぬが、しかし決してそうではなくかの漢字や仮名やローマ字などの中にあっては、正しく文字中の宝玉にもたとうべきものであると信じている。そうして、この宝玉が、いかに尊い光を有し、いかに偉大なる使命を帯びているかということについては、全く、単純なる想像のほかに属し、我が国速記界のみがひとり世界の文明国から取り残され、極めて寂寞たる状態にあるということは、実に、国家の現在並びに将来のために心から痛嘆にたえないのである。
 日本の速記界は、あたかも、暗闇である!
 暗黒である!
 しかも広々とした未開拓の広野にも等しいものである!
 しかしながら、こういう状態は決していつまでも続くものではない。
 この宝玉の光が永遠に地中に埋もれるということがあり得るだろうか?
 私は断言する。
 そは決してあり得べきことではない!
 否、ただに決してあれ得べきことではないのみならず、今や、こうこうたる宝玉の光、地上を覆い、一般世人が心からなる大感激をもって、我が速記界の黎明を迎える日は、まさに目前に切迫しつつあるのである!
 即ち、ここに速記文字の真意議を明らかにし、その使命の偉大を高調してもって我が速記界革新の導火線たらしめ幸いに、私の本志を理解してくださる賢明な世の識者とともに鐘楼に登り、華々しく、一大警鐘を乱打せんと欲するのみである!
 
 
識者の檄す!
 速記界の不振を慨して
「最も進歩せる文字を使用する国民ほど最高文化の恩恵に浴する」ということは、実に永遠不変の真理であると思う。したがって、我々の使用する文字の良否は直ちにその文化の盛衰をも左右するものであるからして、事、いやしくも文字に関する諸問題こそは、実に文化の源泉をなすべき最も重大なる根本問題として、これをしも、しのぐほどの大問題は、甚だ少ないと言わなければならぬのである。しかして取り分け国字負担の加重に苦しむこと甚だ大なる我が国民としては、これをいかに改善し、いかに救済するかということについて最も深甚なる注意を払うべきことは、真にこれ国民当然の義務なりと断ぜざるを得ないのである。
 私は、平生から、速記文字とはいかなる文字なりやという根本に立脚して、これを極めて重大視しているのである。
 速記といえば、多くの人々の第一連想は直ちに速記者なる職業的方面に向けられ、したがって速記は速記者のための速記なるがごとく即断されがちであるのは……まことに無理からぬことなりとはいえ、甚だ皮相なる観察であって、私の最も不本意に思うところである。
 速記文字は、仮名と同様なる一個の完全なる音表文字であり、かつ、文字中最も簡単なるものであって、ただに一般社会における筆記事務の敏活を計るに用い、もって国運の発展を期する上に必要なるのみならず、さらに進んでは一国の国字として不可なき偉大なる本質と使命を有しているものである。したがって、これを個人的に見、はた社会的に見るとき、その活用範囲たるや極めて広く、否、文明の進歩と並び進んでその極まるところを知らないありさまであって、我々人類に対する恩恵の大なること、真に計るべからざるものがあるのである。しかして、速記文字の普及が、欧米社会の進歩を促進したる一大原動力となっている事実を思い、また、英国速記界において、速記文字国字論の熱烈に称えられつつある現状を鑑みるときには速記界の振、不振は直ちに文化の隆盛と密接なる関係を有しその研究なり、あるいは普及は、実に単なる一私人的問題にはあらずして、いかに重大なる国家的大問題であるかを痛切に感ぜざるを得ないのである。
 現今、欧米各国における速記界は実に驚くべき発達を遂げている。即ち、一般社会事務の頻繁なるにつれ、速記文字を利用して筆記事務の敏活を計るという点からして新聞、通信、講演、著作などはもちろんのこと、実業界と言わず、教育界と言わず、司法界と言わず、軍事界と言わず、あらゆる方面において、あらゆる階級を問わずして活用せられ、その中でも、殊に実業界においては、今や
 「速記とタイプライターを知らなければ実業界に入れない」
とさえ、叫ばれ、商業学校のごときは、つとに必須科目として速記科を有せざるなきに至っているありさまである。しかしてこれ実に速記文字活用の一面にすぎないのであるが、しかもこの一事をもってするも、なおかつ、速記文字がいかに重要にして実社会の文字化しつつあるかを実証することができるのである。ましてや、その他の一般中等程度の学校においてこれを教えるもの多く、殊に米国のごときは、速記学をもって一個の独立せる科学として単科大学すら建設せられているの盛況を呈するに至っては、真に速記文字のために万丈の気を吐くものであり、到底我々日本人の夢想だになしあたわざるところである。
 しかるに、翻って、我が国速記界の現状を見るに悲しいかな、我が国の大部分は未だかつて速記文字を見たことがない!この重大なる速記文字がいかなる文字であるかを見た経験をすら有しない!と言っても過言ではなかろうほどの極めて貧弱幼稚な状態である。殊に国字問題研究者、もしくは速記専門の研究家それ自身においてすら、なおかつ速記文字の本質に徹底しないありさまであるからして、我が国速記界の進展たるや望むによしなく、一般世人が未だその尊い本質的意議と使命とを理解するに至らないのも、これ当然のことなりと言わざるを得ないのである。しかして僅か一部少数の人士によつてのみ理解せらるるとするも、その多くは、ただ単に速記者なる職業的一方面のみ思考せらるるにとどまり、しかもそれすら、国家的見地に立って速記者の重要なる天職を説き、速記界の振、不振が直ちに国勢をも左右すべきものなることに着眼するもの、果たして幾人あるであろうか?ましてや、速記学の樹立を思い、速記教育のいかに偉大なるものなるかに至っては、これを顧みるもの、真に、絶無なりと断ずる不可なき惨憺たる状態にあるのである!
 ああ、これ果たしていかなる理由に基づくものであろうか!
 思うに、我が国速記界の進展かくのごとく遅々たるゆえんのものは、実に、以下2点を指摘してもって最大の原因なりとしなければならぬのである。
 まず第一に、諸原因中最大原因なりとして最も声を大にして叫び……かつ深く悲しまざるを得ないのは、実に我が国民の無自覚なることである。文化の流れ、とうとうとして止まるところを知らず、今や一方においては国字を改善し、一方においては速記文字を活用するにあらずんば、到底欧米列国と歩を同じゅうすることあたわず、あだら、国際競争場りに敗残の憂き目を見るのほかなき憂慮すべき形勢になっているにもかかわらず、我が国民は平然として、それらの問題のしかく重要なるゆえんを解せず、あたかも深夜薄氷の上に眠りながら、天明既に近づき、日まさに東天に昇らんとするも悟らざるがごとき寒心すべき状態にあるのである。しかして、かくのごとき国民の無自覚なることは、ただに文字界のみにはあらざるべく、たといいかなる方面においてにもせよ、いやしくも国家を愛し国民を思う熱情あるの士に取っては、真に痛嘆、これより大なるはなしと信ずるのである。
 さらに、第二の原因として挙ぐべきは、速記文字の習得が甚だ困難であったということである。従来の他の諸速記法が、過去40余年の久しきにわたって、国家社会の推進に貢献したることは、もとより、極めて甚大にして、我が国民は永くその功績を記憶すべきであるが、惜しいかな、その熟達には多大の年月を費やし、多大の能力を要し、よほどの天才的特殊な努力家でなければ、到底、その目的を達することができなかったのである。したがって、その普及という点については非常なる困難を伴い、広く一般民衆の活用に適さなかったのはもちろん、速記専門の技術者のごときですら、今なお、全国にりょうりょうたるありさまなのである。
 かくのごとくして、我が国のごとき頻雑なる漢字を使用している国にあっては、一日も早く、速記文字を活用してもってその短を補うという意味からして、我が国速記界は異常の発達を来していなければならぬのであるのに、うらむべし、事実のこれに反すること前述のごとく、真に中心から遺憾禁ずるあたわないのである。「世界の文字をして速記文字化せしめよ!」とは常に私の心中に燃えている熱望であるが、もとより、速記文字化の大理想が文字界今日の状態においては、到底、短時日に実現せられる望みのないことは百も承知はしているのである。しかしながら、古来、文字進化の大勢を観じ、速記文字の真意議を思いつむるときには、速記文字化の大理想が決して空想にはあらずして、今や文字界の現状は、まさに、速記文字化の大理想に向かって進みつつある道程にあることを断言してはばからないのである。
 世の中には、政治外交の問題であるとか、あるいは思想上の問題であるというような問題などについては、熱狂の余り、よく流血の惨事をもあえて辞せない人々があるが、今や国民これを閑却し、国民これを軽視していながら、実は国家百年の大計たるべき文字上の諸改善問題についてもまた全国民は等しく、その尊い愛国の熱涙、尊い憂国の熱血を振り注ぐべきではなかろうかと思うのである。
 ああ実に、速記文字は文明の晴雨計である!
 文明の進歩と並進すべきものである!
 否、文明の大先駆者なのである!
 しかしてすべての人々が平等にその恵沢に浴すべきものであるが、見よ!僅か数十名の速記者あるがために我が帝国議会はその重要なる議事録を編成せられ、僅か数名の速記者あるがために全国の大新聞は驚くべき大敏速さをもって報道の使命を果たしつつあるにあらずや!
 もしも速記者たると否とを問わず、偉大なる速記力の所有者にして天下に満ち、これを個人的に、はた社会的に活用することとならんか、国家社会の大幸福、真にいかなるかを知らないのである。
 ああ、国字の改善は一日も速やかならざるべからず!
 簡易速記文字の普及は一日後るるべからず!
 ここに熱誠もって満天下の識者に檄して深甚なる注意を喚起し、併せて一日も早く、速記文字の意議と真価とを発揮してもって、ますます盛大なる文化世界を現出するに至らんことを切望してやまない次第である。
 
社会と速記
 学生界(略)
 政治界(略)
 軍事界(略)
 警察界(略)
 その他(略)
 
速記者について
 物質的収入(略)
 知識常識の発達(略)
 成功の秘法(略)
 尊い仕事(略)
 
 以上、速記者について有形無形に種々考えてみると、確かに優れた文明的職業である。不幸にして、我が国従来の速記が甚だ困難であったために、かように優秀なる職業が一般に理解せられず、たとい、それを理解している人があっても、その希望を達するに由なく、新日本の速記界としては余りに貧弱なる状態にあること、既に幾度も述べたとおりである。しかるに、これに反して、欧米の速記界の発達は真に驚くべきものがあり、政治家、実業家、司法官、法律家、文豪、新聞記者その他各方面の有名なる人士が、その青年時代に速記者となって活動していた実例などは、実に枚挙にいとまがないほどである。速記者!否、偉大なる速記力の所有者であるということが、いかに自分を偉大化するためにも、はた、国家社会のためにも重大であるかは、もはや賢明なる読者諸君の胸に、深く、かつ十分に徹したと信ずるのである。
 我が身のために
 我が家のために
 我が国家社会のために
 勇ましくも戦い進まんとする若き戦士諸君よ!
 たとい、男子たると女子たるとを問わず、一日も早く、この偉大なる速記力の所有者たるべく努力一番せられんことを熱誠もって切望してやまないのである!
 
国民を文字のドレイより救え!


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