中根式速記

中根正世著「中根式速記」昭和27年4月 初版発行 東京 中根速記学校
 


感激旗
 の標はいわゆる感動標でありまして力を込めて言いあらわす場合に用いる標でありますが、私はこれを「感激」と言っておるのであります。感激とか、感極まるとかという言葉は実によい言葉でありまして、平凡なことでは感激はなく、石と石と相打って火花の散るところ、真剣と真剣と相打って火花の散るところ、これ感激であります。正義なくしては感激なく、人道なくしては感激なしであります。感激の生活は生ける生活、感激のない生活は死せる生活、感激なくしては我々の生命もなく、種々な意味から感激、感極まるという言葉は実に力強いよい言葉であります。
 この言葉がいつの間にか各地に広まり、ついには我々の最も大切な標語となり、速記部のことを感激部、速記精神のことを感激精神、「さようなら」のかわりに「感激」とさえいう学生も出てくるくらいになったのであります。
 全国大会の優勝旗は最大の後援者であった清浦伯(※)にお願いしてこの標語を書いていただき、全国大会の優勝旗を大感激旗、地方大会の優勝旗を小感激旗と言っております。清浦伯は速記の重要性を深く認められ、多年最大の後援者として過分の知遇を受け、昭和17年、第11回大会のときには伯の絶筆となった記念の色紙さえも特別賞としていただいたほどでありましたが、この感激旗こそ国家の元勲清浦伯のご精神のこもったものでありまして実に全国速記学生のあこがれの標的であります。
※清浦奎吾伯爵
 
中根式速記
 中根式速記は最初私の兄正親(現京都両洋高校長)が京都帝国大学在学中に創案したものでありまして、大正3年5月10日、大阪毎日新聞によって初めて世に紹介されたものであります。そうして当時最も進歩的な速記として認められていた熊崎式の創案者熊崎健氏(※)が直ちに書を寄せられ「幾多斬新なる法則あるが中にもインツクキの妙用には只管敬服の他無御座候、是等独創的御発明に対し満腔の敬意を表し候」と推賞されたのでありますが、一知半解者の妄評と異なり、これ以上の権威ある批評はなく、事実日本語速記の一大鉄則の発見であり、従来の速記とは全然違った独特の新式であったのであります。次いでその翌年から不肖私がかわって研究を続けて大成に努むるとともに一面普及をも計って今日に至っておるのでありますが、幸いにして多数の熱心なる協力者を得、今なお研究に微力をいたしつつあるのであります。
 従来速記は非常に難しく、その必要性は認められながらもその習得に多年を要したため広く普及をしなかったのでありますが、この式が出てから子供でもできる速記となって一般大衆化し、優秀なる専門家が相次いで出るとともに一般文化人の教養として広く全国に普及しつつあるのであります。幸いにして速記界発達のため多少とも貢献することができますればまことに喜びにたえないのであります。
※熊崎健一郎
 
 
文化の華
文字は、正しく速く美しく
 文字の教育には3つの大切なことがあると思います。それは正速美であります。惜しいかな我が国では正と美とに全力を注ぎ、速が忘れられておる観があり、「正」記はでき、「美」記はできても重要なる「速」記ができないのであります。時代は速記を要求しております。
 速記と言えば職業教育の片隅に置いてありますが、それは速記力活用の一面にすぎないのでありまして、文字の正速美は実に国民全部に課せられるべき基本教育でなければならぬのであります。能率増進、時間尊重、生活改善などと言われながら、我々が一生の間使っていくこの重要な文字について果たして「速」の問題がどれほど考慮されておるのでありましょうか?
 
文化国即速記国
 速記の研究は欧州において遠く2,000年前から始まったと言われ近代に至っては特に長足の進歩発達を来しておるのであります。第一次世界大戦当時の米大統領ウイルソン氏は速記のよくできる人でありまして講和条約には速記文字でウイルソンとしてある指輪で調印しており、また第二次世界大戦では同国務長官バーンズ氏はポツダムその他の国際会議に出席して自らセキ1つ落とさず速記して第二次世界大戦外交秘史を発表しておるのであります。英の世界的政治家グラッドストーン氏もまた速記の堪能者であったと言われておるのであります。
 英米には速記の大学があり、英国では速記文字国字論が盛んに称えられ、米国では学生にして速記を知らない者は学生の資格がない……社会から速記を取り去ったならば電灯が消えたのに等しいとさえ言われるほど普及発達しておるのでありますが、我が国の状態と比較して非常な差があり、我が国が世界の文明国中最も遅れておることはまことに遺憾にたえないのであります。
 文化の根底に文字あり、文字の中に速記文字あり、速記の普及発達しておる欧米では速記は文化の華、文化の先駆とさえ言われておるのであります。文化国即速記国であります。最も進歩せる文字を使用する国家、国民こそ最高の文化国家、最高の文化国民であると言うべきではありますまいか。
 
 
実に国家の一大損失
知識の消失
 学校や一般社会、あるいはラジオなどでも、あらゆる講義講演はみな「聞かせる、聞かせる、聞かせる」ことのみに全力を注ぎ、それをいかにして受け取らせるかについて果たしてどれほど考慮されておるのでありましょうか。聞かせる反面には受け取らせることがあります。聞かせる以上はよく受け取らせねばならぬのであります。しかしてよく受け取らせるためにはぜひとも速記力が必要であります。
 黙って聞いておればよいという話は割合に価値に乏しく、一言一句聞き漏らさないようにと言って聞かせもし聞きもするものは重要なものでありますが、速記力と言えば、僅かに漢字の略字ぐらいであるため、せっかくの話も十分確保させることができず、ほとんど聞かせ放しの状態であります。せっかく聞かせる以上は少しでもよく受け取らせるためにはもう一親切、今度は受け取るために必要な速記教育をしておくべきであります。遺憾ながら今はこの教育が行われておらず、要点さえ思うように書き取れず、果たして何パーセントが受け取られておるのでありましょうか。貴重な知識が確保されず、あたら空に消えつつあることは実に国家の一大損失であると思うのであります。
 
時間の空費
文字には読む場合と書く場合とがあります。
 1分間に数百字読むことはできても速記教育が行われていないために1分間数百字書くことができないのであります。我々は、日常一片のメモに至るまで一生を通じて文字を書くのでありますが、速記ができないために私的に、あるいは公的にいかに多くの貴重な時間を空費しつつあるか、これまた実に国家の一大損失であるというべきであります。
 
 
速記の三大武器
1.知恵の武器
 速記とは何ぞと言われるならば、それは「知恵の武器」と答えたいのであります。速記ができなくてみすみす逃していた知恵を今度は意のままに確保できる武器でありますから「知恵の武器」というのであります。
 速記ができるからと言って、いつでも人の話を速記する必要はなく、また全部書く必要もなく、書かずに聞くか、要点だけを書くか、全部書くかは利用の仕方でありますが、講義講演、各種の会合その他あらゆる機会に自分に必要だと思うのは、聞いたら決して逃がさず、聞けば聞くほど必要なる知識はみな確保することができ、また人から聞く話のみではなく、自分自身の頭に浮かぶよい考えも浮かんだ瞬間に文字化することができますから実に驚くべき知恵の武器でありまして、これが全国民に教育されたならば、国民の知識がいかにめざましく向上するかは想像に余りであります。
 
2.時間節約の武器
 文字を書く早さは漢字の略字程度で満足すべきものではなくも速記教育をしておけば文字を書くために費やす時間は現在の数分の一で済むので、これを私的に、あるいは公的に活用することを考えるならば実に重大な問題であります。
 
3.職業の武器
 速記の重要性が非常に高く評価され、1時間の速記料は2,000円(昭和26年)であります。
 国会、地方議会、新聞通信社その他で女子が盛んに活動しておりますが、男女の別なく、速記専門家として重要なる職務につくのもよく、専門家としてではなく、速記の特技をも持って各方面に勤めてもよく、また種々アルバイトとしても盛んに活用され、本給よりもその方の収入が多いという人もあります。
 速記者は学歴は要らない、学力さえあればよいと言って各方面から歓迎されております。就職の履歴書に特技として速記を書いておいたため、優先採用になった例が幾らでもあります。十分できなくとも「研究中」と書いておくだけでも非常に有利であります。
 速記は非常な特技であって、我に特技ありという人は強く、我に特技なしという人は弱く、今や時代の進歩とともに通説に要求される速記であります。率先して早く着眼した人が「我勝てり」であると思います。
 
 
小学校から速記仮名
 私の子供はまず3年10ヵ月ごろ片仮名を教え、4年9ヵ月ごろこの式の基本文字(速記仮名)を教えました。じっとして聞いておりませんので5日間かかりましたが、延べ時間僅か1時間ぐらいと思われる短時間でこの速記仮名が読めるようになり、5年4ヵ月のとき(昭和23年)第一回全国高校大会で黒板に文章を書かせて実演、満場拍手して感心しておられました。そのころはまだ平仮名は余り知らず、それよりも速記仮名の方が得意で日誌も手紙もみな速記仮名で書いていました。ここに掲げた手紙はこの子が書いたものであります。私がこの子たちを残していつも各地に出かけるので後を追うて次々に手紙をよこしますが、これは最も印象的で読むたびに思わず感に打たれるものであります。この子は大きくなってもノートに困るなど絶対になく、アルバイトなども速記できましょうから学費もやらなくてよいと安心しております。文字としてでなく、速記の体操遊戯として教えてもよく、なるべく小さいときからと思っております。
 私は小学校で速記仮名を正科として教えることを終生の念願としております。それは片仮名、平仮名と同じように速記仮名を教えるのであります。この速記仮名が覚えやすく、しかも片仮名の数倍早いことを知られたら反対される人もなかろうと思います。漢字の略字ぐらいでは早さが足らないのでもっとたやすく早く書く方法を小学校時代に教えておくわけで、それにはこの速記仮名さえ教えておけば現在の数倍早く書けるようになるのであります。
 我が国では小学校でローマ字を教えておりますが、早さの点では大変損であります。ぜひとも速記仮名を教育して早さの問題を解決すべきでありまして、一日も早く全国民が大きな偉力を持つ速記力を個人的にまた国家的に広く活用し、もって世界第一の速記国日本が建設されるように念願してやまないのであります。


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