創案者の毛利高範は、毛利家の子孫として早くから子爵となっておりましたが、速記に関心を持ち、明治18年ごろ既に田鎖系の解説書で独習しておりました。 その後ドイツに留学して明治24年に帰国しました。留学中にドイツのファルマン式を基礎に日本語速記法をまとめましたが、 ローマ字綴り的に組み立てましたが思うようにまとまらず、後にはファルマン式の用いる線のみを利用して大正9年7月15日に毛利高範著「毛利式 日本速記法」を 毛利速記研究所から発行いたしました。

 我が国では、幾つかの「草書派」の速記方式が発表されましたが、実用化に成功したのは毛利式だけです。 戦前は、東京府豊多摩郡淀橋町柏木931番地に「毛利式速記研究所」がありました。 大正12年4月に東京府認可を受け、小さいながらも「毛利式速記学校」を開校しましたが、中根式と異なり積極的な活動を行いませんでした。

 戦後は穂積武子さんが、昭和30年ごろ東京都渋谷区で「毛利式速記研究会」として指導されておりました。



「毛利高範」略歴
 慶応2年12月〜昭和14年6月12日。熊本県生まれ。子爵。明治21年ドイツに留学のおり、同国の速記方式を研究、帰朝後も日本語速記の考案を続け、 大正9年7月、毛利式として発表。速記学校を起こして自式の教授を始めたが、子息、令嬢らも全員これを修得し、速記一家をなす。

「原田日記」の口述速記で知られた近衛泰子も、その1人。昭和7年7月、貴族院議員退任に際し、同院速記課に1000円寄付。著書に「毛利式日本速記術」等あり。
出典:日本速記者名鑑(昭和28年10月28日発行)


 「修訂 毛利式日本速記法」   mouri.pdf … 2,194KB


 「速記基本文字総覧」より  毛利式基本文字

 毛利式符号文例  風間 加代(1)  風間 加代(2)  塚田 正勤


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