そこには、速記符号があらわにも書かれていた
長年、「 速記 」 のことで、殊に 「 モリタ式 」 ( いわゆる衆議院森田案 ) にからんで、その他、速記がらみで広く、深く、お付き合いをさせていただいてきた神奈川県のR.M氏に、とても興味深いメールメッセージをいただいた。 そこで、そのR.M氏とのやり取りの内容や、R.M氏みずからのお言葉も拝借しつつ、以下、あれやこれやと、ほんとにいささかマニアックな内容となってしまうことを前提に、書いていこうと思う。 R.M氏から送っていただいたのは、R.M氏が懇意にしておられる古本屋の店主から送られてきたという画像で、その昔、「 眞崎大和鉛筆株式会社 」 という会社が製造していた 「 鉛筆 」 の写真だった。 大正時代あたりの鉛筆だそうである。 すぐにその写真に目が釘付けになった。 「 速記符号 」 が書かれている!!! そう、速記符号があらわにも書かれていた。 R.M氏いわく、「 なんか、佇まいが、かわいいですよね。 (^^) 」 「 クリクリと鉛筆の先をこねながらの書きぶりが想像できて、ちょっと愉快な感じです 」 とのこと。 確かにかわいらしく、なんだか楽しみながら書いたような、そんなタッチ、表情が感じ取られるかのようである。 さて、すぐに分かったのは、その速記符号が 「 田鎖式 ( たくさりしき ) 」 の系統のものであるということ。 いわゆる 「 田鎖式 」 と称して明治、大正、昭和といった時代にまたがって職業速記者、その他、速記の使い手が使ってきたものの多くは、日本語速記の始祖である田鎖綱紀氏が創案したいわゆる 「 原始田鎖式 」 ではなく、その 「 原始田鎖式 」 から発して、若林玵蔵 ( = 注1 ) といった田鎖綱紀の弟子たちが受け継ぎつつも、実用化に向けて改良発展させてきたものなのである。 したがって、例えばいわゆる 「 佃式 ( つくだしき ) 」 とも呼ばれる速記符号体系を操る者であっても、その速記符号体系の 「 大河、大樹としての源流、大元は田鎖式 」 であり、「 何式の速記か? 」 と問われて 「 田鎖式 」 と言ったりもするわけなのである。 また、田鎖式系統の速記法の中、例えば 「 荒浪式 ( あらなみしき ) 」 や 「 佃式 」 といった名の通った速記法にあっても、「 その使い手が独自に、各式、各系統、各案から、互換性があり、有用性の高い速記符号を相互移植するといったことが自由に行なわれてきた 」 と想像される背景がある。 そこにあっては、もはや田鎖式系統の中のさらに 「 何式であるか 」 よりは、「 日本語速記の始祖として速記を発明、教授、普及したといった功により、藍綬褒章を授与され、終身年金をも下賜された田鎖綱紀氏 」 によるところの 「 田鎖式 」 という偉大な方式名を名乗ること自体に誇りを持てて不思議ではないし、何の不都合もないであろう。 そんなこんなで、今回取り上げさせていただいた画像にある速記符号、断定、決定はできないが、広義に解釈するところの 「 田鎖式 」 であることに間違いはなく、さらに 「 田鎖式系統の速記法の中、荒浪式や佃式といった名の通った速記法のどれに一番近いか 」 と来れば、それはほぼ間違いなく佃與次郎 ( = 注2 ) 氏によるところの 「 佃式 」 であろう。 ( 佃式は若林玵蔵による速記符号系統の流れでもある。) さもなければ、「 日本速記方式発達史 」 の102〜103ページあたりに記載のある 「 生稻案 」 あたりの速記符号であろうか。 「 生稻案 」 は、佃與次郎氏の門弟の一人であった生稻寅松氏のものであり、少なくとも五十音速記符号に関しては、恐らくはほぼ佃式そのものだったのではないかと想像することもできる。
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