さて、6カ月にわたる第一回の日本傍聴筆記法講習会を終了、その前後が凄く興味深い! 田鎖綱紀より習った若林玵蔵は、講習会開催途中のある時点で既に、実技面では師を超えていたのではないだろうか? そして講習会を終えて、書くには書けるようになったけれども、まだ確たる自信などなかったであろう。 しかしながら、「郵便報知」の「自由新聞」に対する談判を速記したのが1883年7月9日と、講習会終了後からちょうど2カ月ほどしか経っていない。 この2カ月ほどの間、どれほどの練習を? タイムマシンがあるならば、ここの所が実は一番見たい部分でもある。
そして「経国美談」の速記も講習会終了時から6カ月ほど経つか経たないかあたりの時点だ。 けれども「経国美談」での速記符号、実に実際的で美しいのだ。 さらには「怪談牡丹灯籠」での速記符号、こちらは「経国美談」のものから半年ちょっと後あたりだが、これまた堂々とした筆運びで、非常に興味深い。
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