ガントレット式の同線倍化の理論を既成複画派方式に取り込んだ嚆矢 【 訳文 】 戦後、日本を支配したGHQとハードなネゴシエーションをした男が白洲次郎である。 彼は、多くの日本人が敗戦に打ちひしがれ、卑屈な政治家や役人ばかりだった中で、決然とGHQと渡り合った。 そして、彼の言葉が多くの日本人を勇気づけ、敗戦から立ち上がる方向性を指し示したのだ。 その珠玉の言葉を、秘蔵写真とともに紹介しよう。きっと現代人にも力を与えてくれるはずだ。 (文章引用元 : 白洲次郎 100の言葉 別冊宝島編集部 編) ガントレット式の同線倍化理論としての『ア列音×2倍=オ列音、イ列音×2倍=エ列音→例:カを2倍の長さに書くとコ、キを2倍の長さに書くとケ)』というそれまでになかった新発想がまずあった。 ガントレット式出現までの田鎖系複画派諸式というのは、基本的にア列音「カ、サ、タ、ナ、ハ、マ、ヤ、ラ…等」のみがいわゆる単画線(=言ってみれば1本の髪の毛のような線、片仮名のノのような線etc.)であった。 イ列〜オ列にはそれぞれ、各行ア列音を表す速記符号末尾に小円や各々異なる方向に書かれる楕円等を付したところのいわゆる複画線で構成されていた。 母音であるア行(ア、イ、ウ、エ、オ)やワを除く五十音子音各行のうちおよそ8割がたが複画線で占められることとなっていた。 熊崎健一郎はガントレットの理論を既成田鎖系複画方式に取り込み、それまでの田鎖系諸式で行なわれてきた速記法運用行為と融合させていった嚆矢であった。 熊崎式以前の田鎖系速記人がこの理論を取り込んで複画基礎符号を変異させることを思い付かなかったのだろうかと、ふと考えてみたりする。 思い付いた者がいたかもしれない…、さりとていよいよ現実に開発、展開し、あからさまに公表して世に問うまでには、それ相応の研究、検討を要する上に、当該方式の「有用性証明」といったものの具備が望まれる。 熊崎が書いた本の中に見られる速記符号文例を見ていると、やはり田鎖系複画方式を十分に修得していたことが想像される。符号の書きっぷり、そしていわゆる「速記法則」の扱い方というか実際の運用の仕方はもちろんというか…、田鎖系で行なわれてきたそれであると感ずる。 ガントレットや熊崎の行き方は、イ列とエ列に倍化された符号が加わるわけであり、この倍化符号がざっと4割近く混在することとなった。 紙面の占有度は場合にもよるが、大方として増大する傾向へと移行するものの、書きやすさ、読みやすさ(→複画派時代の複画符号のうち楕円符号はウ列〜オ列の間で場合により判読性が曖昧になりがちとも言える)、速度性能を明らかに向上させた面が大きい。 それまでの固定概念や保守性、伝統といったものの中にひととおり身を置いた後、そこから抜け出て新たな自案を現実展開していった熊崎。 そこには「守破離」のような過程を見てとることができる。
(2021年3月27日 平野明人 記す) |