エドワルド・ガントレット
エドワード・ガントレット
1868年英国生まれ。北米に渡った後、1990年来日。高校や大学で英語やエスペラント語を教える。婦人運動家の山田恒子と結婚。義弟になった山田耕筰の音楽の才能を見いだし、妻の反対をおして音楽学校に入れた。
1898年「日本語速記術」を発行。折衷派の元祖である。田鎖系の方式にはない新しい方法がいくつかあるが、特に「ア列」の2倍を「オ列」に、「イ列」の2倍を「エ列」にしたことは特筆すべきことであった。これが熊崎式、中根式、早稲田式などに影響を与えた。英語の速記も発音式でなく綴字式の「orthic
shorthand」を発行している。 山口高商「現山口大学」勤務の際に、秋芳洞の探検、秋吉台と長門峡の調査をした。戦後米軍が秋吉台で軍事演習をしようとした時、マッカーサー元帥と紙上討論をして演習をやめさせた。
1941年に帰化して、岸登烈と名乗る。1956年逝去。