昭和4年7月に「新日本速記学会」を「中根速記協会」と改称し、同月、東 京・九段下に「中根速記学院」を設立し、昭和5年5月27日に東京府公認となり 「中根速記学校」と改称をして今日に至っております。
 現在、中根速記学校は中根正世先生の令息・中根康雄(次男)さんが指導に当 たっております。
 中根正世先生は戦前、全国各地(※樺太、千島列島を除く)の中学校(旧制・ 現在の高等学校)、戦後は高等学校を中心に速記講演の行脚をされて中根式の普 及をされました。
 また、昭和33年に「簡易速記法」(現在のスピードメモ法)を発表して以来、 ロータリークラブ、自衛隊、警察でも速記の講演をされていました。
 昭和6年12月27日に「第1回全国中等学校中根式速記競技大会」が開催されて 以来、戦後は「全国高等学校速記競技大会」(全国大会)として今日まで続けら れておりますが、旧制中学や高等学校速記部の卒業生がプロ速記者として全国で 活躍をしています。
 従来の速記は非常に難しく、その必要は認めながらもその習得に多年を要した ため広く普及をしませんでした。中根式が発表をされてから速記も一般大衆化し、 優秀なプロ速記者が相次いで出て一般文化人の教養として広く全国に普及をして おります。
 中根速記協会も昭和33年8月に「中根式速記協会」と改称をされ、現在は中根 正世先生の令息・中根敏雄(長男)さんが2代目会長を継いでおります。
 平成16年5月10日に中根式発表90周年を迎えました。

 以上が中根式の概要です。
 
 大正3年5月10日の大阪毎日新聞に、中根正親先生(京都帝国大学土木科1年 生)創案の中根式速記法に関する紹介記事が掲載されました。

【参考文献】(大阪毎日新聞記事)
〇新案出の速記術、大学生の発明
 京都帝国大学理工科大学の土木科一年生、長崎県長崎市本大工町中根正親(2 5)は、三高在学中よりの苦学生にて、今は聖護院町上畑酒商、細川初太郎の二 階に、ビールの空箱を本棚兼卓子(テーブル)にサイダーの空箱に腰をかけて住 まひ居れり。
 同人は、目今、日本に行はるる各様式の速記術を研究し、なほ改良の余地あり と認め、西洋速記術の祖ピットマンの式を日本風に応用することを案出し、実地 に応用して好結果を得たれば、山本京大学生監(※学生部長に当たる。山本良 吉)聖護院予備学校主辻本光楠氏の賛助を得、九月頃より予備学校内に速記学校 を設立すべく、目下準備中なり。
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