大正時代
大正に入り、元年に荒浪式が発表されました。荒浪式は複画派方式として広く
普及をした方式です。昭和32年にも荒浪式の本が発行されております。
大正3年には中根式が発表されました。武田式は1人の実務者を輩出しただけ
で終わりましたが、中根式は再び単画派として登場して今日に至っております。
中根式は熊崎式以来の画期的な方式の出現です。当時は、複画派の田鎖系と折
衷派の熊崎式が広く普及をしていました。中根式は単画派として初めて広く普及
をした方式です。中根式を創案したのは中根正親(まさちか)であり、研究・大
成したのは実弟の正世(昭和31年に正雄と改名)です。
中根正世は全国の中等学校を中心に中根式の普及に努力したので、当時の中学
校(現在の高等学校)に広く普及しております。
大正6年には森山式、大正8年には新森山式、大正9年には生稲式、毛利式、
大正10年には大川式、大正11年には桜井式、大正13年には新熊崎式、大正14年に
は北村式、新北村式が発表されました。
森山式は野崎式、熊崎式の系統ですが、独特の基本文字です。
生稲式は田鎖式の系統であり、基本文字には余り変化がありません。
毛利式はドイツのファウルマン式(Faulmann・1875)を研究したものであり、
日本では珍しい草書派の方式であり、実用化された方式です。
大川式は武田式の濃線を採用しており、加点文字を廃止しているが純単画派を
ねらったものであり、濃線が残っております。
北村式は中根式の系統であり多曲線を使用しておりますが、まだ濃線が残って
おります。
新熊崎式(牧)は、熊崎式を改良をしたものですが、熊崎式のスは小円を取っ
て )としております。