1802年 | イギリスでリチャード・ロー Richard Roe が「ロー式」を発表した。草書派の萌芽。 |
1803年 | スペインのフランシスコ・デ・パウラ・マルティ Francisco de Paula Marti(1761-1827) が正円幾何派の「マルティ式」を創案した。 |
1809年 | イタリアのエミリオ・アマンティ Emilio Amanti が正円幾何派のテーラー・ベルタン式から「アマンティ式」を創案した。 |
1811年 | サミュエル・テーラー(1749-1811)が死去した。 |
1813年 | アイザック・ピットマン Isaac Pitman (1813-1897)がイギリスのトローブリッジで生まれた。 |
1813年 | フランスのルイ・フェリクス、コナン・ド・プレペアン (1777-1837) が正円幾何派の「プレペアン式」を創案した。 |
1822年 | イギリスでベン・ピットマン Benjamin Pitman (1822-1910)が生まれた。 |
1822年 | エーメ・パリ Aime Paris (1798-1866) が「エーメ・パリ式」を創案した。 |
1823年 | イギリスでウイリアム・ハーディングがテイラー式を改良した。 |
1826年 | フランスのイッポリート・プレボー Hippolyte Prevost が「プレボー式」を創案した。 |
1826年 | イタリアのコンソーニ Consoni が「コンソーニ式」を創案した。 |
1829年 | アイザック・ピットマンがサミュエル・テーラー式を学んだ。 |
1832年 | フランスの Fayet が草書派の方式を創案した。(Caleb W.Davis) |
1833年 | コナンド・プレペアン(1777-1837)が「プレペアン式」を発表した。母音をサインで表記した。 |
1834年 | ドイツのフランツ・クサフェア・ガベルスベルガー Franz Xever Gabelsberger (1789.2.9-1849.1.4) が「ガベルスベルガー式」を完成した。草書派の完成。 |
1834年 | J.J.ゴノー J.J.Gonnet がフランス語のエーメ・パリ式を応用してブラジル語(ポルトガル語)の速記法を創案した。 |
1837年 | アイザック・ピットマンが「ステノグラフィ・サウンドハンド」を出版した。ピットマン速記は初の通信教育を始め、アイザックの長兄、ジェイコブ・ピットマンによりオーストラリアでアイザックの「サウンドハンド」が取り上げられた。 |
1839年 | 「第一記音学研究所」(The First Phonetic Institute)がアイザック・ピットマンによってロンドン市内バスのネルソンプレイス5番地に開設された。 |
1840年 | ピットマンの第二版「ステノグラフィ・サウンドハンド」が発行され、年末に第三版が発行された。 |
1841年 | ドイツのシュトルツェ Wilhelm Stolze が草書派の「シュトルツェ式」を創案した。 |
1842年 | 「フォネティック・ジャーナル第一号」(現在のピットマン・フォネティック・ジャーナル)が発行された。 |
1843年 | 英国に「フォノグラフィ通信教育協会」が設立された。 |
1843年 | ブラジル語にテーラー式が応用された。 |
1844年 | スペインのフランシスコ・セッラ Francisco Serra がセッラ式を創案した。 |
1844年 | "モールスは連邦議会に対してワシントンとボルティモアの間で、有名なメッセージ「""What hath God wrought"" 」(What had God worked)を電信でデモンストレーション送信した。" |
1845年 | アイザック・ピットマンは初の印刷所を設置した。 |
1846年 | 英語の音標辞書(A Phonographic Dictionary of the English Language)がピットマンの辞書の最初のものとして1万2千語を収めて発行された。 |
1848年 | ブラジルでメスキート・ファカオ Mesquito Fakao がスペイン語のマルティ式を応用した。 |
1849年 | イタリアのグリオンが「グリオン式」を創案した。 |
1851年 | ピットマンによって、バスのアッパー・ブリストル道路に「第二記音学研究所」が開設された。 |
1851年 | チェコスロバキアのヘーゲル Hynek Jakub Heger (1808-1854) がガベルスベルガー式をチェコ語へ応用した。 |
1851年 | アイザック・ピットマンは大博覧会で彼の速記書について銅賞を得た。 |
1852年 | ベン・ピットマンはアメリカに到着し、ピットマン式速記を紹介した。ベンは「シンシナチ記音学研究所」(the Phonographic Institute of Cincinnati)を開設した。 |
1854年 | アンドリュー・J・グレイアム Andrew J.Graham が「グラハム式」を発表した。日本の田鎖綱紀がグラハム式を基に田鎖式を創案した。中国最初の速記法「伝音快字」もグラハム式を参照したものとみられる。 |
1854年 | ベンは「リポーターズ・コンパニオン」を出版した。 |
1855年 | ベンは「フォノグラフィ・マニュアル」を出版した。 |
1855年 | ピットマンの「第三記音学研究所」がバスのパーソネージに開設された。 |
1855年 | 第一回の速記速度認証試験がバスの記音学研究所で行われた。 |
1856年 | ギリシャのミンドラー Joseph-Maximilien Mindler (1808-1868) がガベルスベルガー式を応用して「ガベルスベルガー・ミンドラー式」を創案した。 |
1857年 | アイザック・ピットマンによって母音の改良が紹介されたが、多くのアメリカの速記者は切りかえなかった。 |
1857年 | J・グラハムのブリーフ・ロングハンド」('Brief Longhand')が発行された。 |
1860年 | ユーゴスラビアのカプレッツ Ivan Kapretz がガベルスベルガー式を応用し、「カプレッツ式」を考案した。 |
1861年 | ポーランドのポリンスキー Joseph Polinski (1828-1901) がガベルスベルガー式を応用してポーランド語の速記を創案した。 |
1862年 | アイザック・ピットマンは、二重フックの「fr, vr, thr, Thr」と大カギの「for fl, vl, shl, ml, nl」を追加した。 |
1862年 | フランスのデュプロワエ Emile Duploye (1833-1912) が正円幾何派のデュプロワエ式を創案した。子音はストローク、母音は円、丸カギなどを用いた。 |
1862年 | イタリアのマナロン Manaron がマナロン式を創案した。 |
1863年 | イタリアのエンリコ・カルロ・ノエ Enrico Carlo Noe がガベルスベルガー式をイタリア語に応用して、「ガベルスベルガー・ノエ式」を創案した。 |
1864年 | ユーゴスラビアのマグディック Franjo Magdic (1830-1914) がガベルスベルガー式をクロアチア語に応用し、草書派の「マグディック式」を創案した。ほかにユーゴスラビアにはスクレブリン Ljubomir Skeblin が創案した「スクレブリン式」がある。 |
1864年 | 技能教育の英国学士院は速記試験を始めた。 |
1865年 | ベン・ピットマンはリンカーン大統領の暗殺者の裁判において5人の速記者のチームを率いた。 |
1866年 | フランスのドロネ Albert Delaunay (1828-1892) が「ドロネ式」を創案した。 |
1867年 | 「wl、lr」がピットマン式に導入された。 |
1867年 | ジョン・ロバート・グレッグ John Robert Gregg (1867-1948)が6月17日アイルランド Ireland のマナハム Monaghan 郡ロッコリー Rockorry で生まれた。10歳のとき聴覚に障害を持ち、父の影響でテイラー式の速記を学び、その後幾つかの方式を学習、特にフランス語のスローン・エミール・デュプロワエ式 。J.M.Sloan-Emile Dupuloye を学んでのちに強い影響を受ける。(Caleb W.Davis) |
1867年 | ベン・ピットマンの「リンカーン大統領の暗殺と陰謀者の試練」が出版された。 |
1869年 | 「kw」がピットマン式に導入された。 |
1870年 | ロンドンで「ピットマン・メトロポリタン・スクール」が開校した。 |
1872年 | 17名の熱意あるピットマン式の速記者が「記音学速記者協会」を英国のグレートブリテンに設立した。 |
1873年 | ユーゴスラビアのミロバノビック J.S.Milovanovic がガベルスベルガー式を応用し、「ミロバノビック式」を創案した。 |
1873年 | 「wh」がピットマン式に導入された。 |
1874年 | オーストリアのカール・ファウルマン Carl Faulman (1835.6.24-1894.6.28) がウイーンで草書派「フォノグラフィ」(Fonographie)を発行した。毛利高範がのちに日本語へ応用し、日本語初の草書派「毛利式」を創案した。 |
1874年 | ロシアのテルネ M.A.Terne が草書派の「テルネ式」を創案した。 |
1874年 | 「ピットマン第四記音学研究所」がバスのアビー・チャーチヤードに開設された。1878年 アメリカのクロス J.G.Cross が筆記体の楕円をベースにした「エクレクティック・ショートハンド」を創案した。 |
1878年 | クロス J.G.Cross がクロス式を発表した。楕円をダイヤグラムズに採用、半草書派の始まり。 |
1878年 | フランスのアルベール・ドロネー Albert Delauney がプレボー式を改良して、「プレボー・ドロネー式」が創案された。この方式がフランス語社会で最も普及している。(ブリタニカ) |
1879年 | アメリカで マイルズ・バーソロミューが最初の速記機械の特許を得た。 |
1882年 | 日本の田鎖綱紀はアメリカのグラハム式を参考にして正円幾何派の「田鎖式」を創案した。 |
1833年 | 紀元前4世紀の「アクロポリス式」がギリシャのアテネで発見された。 |
1833年 | 日本で最初の速記書「議事演説討論傍聴筆記新法」が出版された。著者は黒岩大、日置益で、アメリカのリンズレー式の影響を受けた。 |
1884年 | 二種線の法則がピットマン式に拡大された。 |
1884年 | ピットマン対ハインの著作権問題が発生した。 |
1884年 | 若林玵蔵は矢野文雄の経国美談後編の口述速記を行った。 |
1884年 | 若林玵蔵、酒井昇造は三遊亭圓朝の落語「怪談牡丹灯籠」を速記した。講談落語速記の始まり。 |
1884年 | 3月25日、埼玉県議会は地方議会で初めて速記による会議録の作成を開始した。 |
1886年 | ピットマンは息子のアフフレッドとアーネスト Alfred and Ernest と共同で「アイザック・ピットマン父子&合名会社」を設立した。初の100万部本「フォノグラフィック・ティーチャー」が英国のグレートブリテンで販売された。 |
1887年 | 頭部大円「sw」がピットマン式に導入された。ティモシー・ブライト速記300年記念祭、ピットマン速記50年祭。 |
1888年 | グレッグ式の最初の書籍として28ページの「淡線記音学」(Light Line Phonography)が英国で発行された。 |
1888年 | ピットマン式速記がオックスフォード地区試験委員会の中・高等学校の試験科目となった。 |
1889年 | ピットマン式速記が英国政府の技能指導法令の最初の対象として認定された。 |
1899年 | イギリス人、エドワード・ガントレットがピットマン式を基に、新式日本語速記法「ガントレット式」を創案した。 |
1890年 | 日本の帝国議会第一議会が年末始まり、逐語記録が速記によって作成されるようになった。 |
1890年 | ピットマン式速記が英国学校コードに採用された。 |
1890年 | 全国記音学会が組織された。 |
1892年 | 「週刊ピットマン式速記」が始まった。 |
1892年 | スウェーデンのO・W・メリン O.Werling Melin (1861-1940)が草書派の「メリン式」を創案した。 |
1893年 | グレッグはイギリスで彼の最初の学校を開いた。 |
1893年 | グレッグはアメリカ合衆国に移住した。 |
1893年 | グレッグの「淡線記音学」がアメリカで初めて出版された。 |
1893年 | クノウスキー Knowski が「ナショナルステノグラフ」を創案した。 |
1894年 | アイザック・ピットマンはビクトリア女王から騎士に叙された。 |
1895年 | サー・アイザック・ピットマンが引退し、長兄アルフレッドがビジネスを引き継いだ。 |
1896年 | 清国でアメリカのグラハム式を参考にした正円幾何派「傳音快字」が蔡錫勇によって創案された。のちに、蔡璋が「中国速記学」として1912年出版した。 |
1897年 | サー・アイザック・ピットマンがバースで1月22日死去した。アイザック・ピットマン父子&合名会社はピットマン・メトロポリタンスクールを収容する特別な建物を注文した。 |
1897年 | ドイツでシュトルツェ式とシュライ式を融合した「シュトルツェ・シュライ式」が創案された。 |
1898年 | イギリスの「記音学速記者協会」と「全国記音学会」が統合して「社団法人記音学会」となった。 |
1898年 | 「ピットマン・メトロポリタンスクール」の新校舎がロンドンで開設された。 |
1899年 | アメリカでグレッグ出版会社が設立された。 |
1899年 | 8月、シカゴで全国速記者協会(The National Shorthand Reporters Association)が設立された。 |
1899年 | オランダの草書派「グローテ式速記法」が創案された。 |
1899年 | 日本で新聞社、通信社に記事原稿の口述送稿手段として電話を利用する連絡速記が始まった。 |
1900年 | グレッグは「グレッグ・ライター」の編集を始めた。 |
1900年 . | ピットマン式速記の「センチュリー版」が出版された。 |