1901年 | イギリスの「ピットマン・記音学研究所」が拡張された。 |
1902年 | ベン・ピットマンとアルフレッド・ベーカーによる「サー・アイザック・ピットマン。その生活と仕事」('Sir Isaac Pitman: His Life and Labours')が発行された。 |
1902年 | グレッグ式速記の「淡線の改訂版」(a revised version of 'Light-Line')がアメリカで発行された。 |
1904年 | 「サー・アイザック・ピットマン 1813−1897 略伝」初版が出版された。 |
1905年 | 日本の武田千代三郎はピットマン式を参考にして、「武田式」を創案した。初めての単画派。 |
1906年 | 日本の熊崎健一郎は新田鎖式とガントレット式を基に、「熊崎式」を創案した。 |
1908年 | ブラッドフォードの近くでジェームズ・ヒルが誕生した。 |
1909年 | 「全国法廷速記者協会」(The National Court Reporters Association(NCRA))がアメリカ速記界初の国内スピードコンテストを開いた。 |
1910年 | ベン・ピットマンがアメリカで死去した。 |
1911年 | アメリカでワード・ストン・アイアランド Ward Stone Ireland が実用的な速記機械と機械速記法を発明した。表音主義で、文字が細いテープ上にプリントされた。 |
1913年 | アメリカの裁判へステノタイプが導入された。 |
1913年 | アイザック・ピットマン生誕100年を記念して「ピットマン100年式版」が公表された。 |
1913年 | 中国の張才が正円幾何派「張才式」を創案した。1917年に「漢文快字全書」としても出版した。 |
1914年 | 日本の中根正親はピットマン式、ガントレット式などを参考にして、「中根式」を創案した。インツクキ法、その逆記、音訓換記法を特徴とした。 |
1914年 | ブラジルでフランス語のデュプロワエ式を応用したブラジル語の速記法が考案された。 |
1914年 | ブラジルでドイツ語のガベルスベルガー式を応用したブラジル語の速記法が考案された。 |
1916年 | イギリスのダットン J.C.Dutton(1886-?)が表音主義による正円幾何派のダットン式を創案した。母音は大小円、カギ、開口円を用いてすべて連綴された。 |
1917年 | ブラジルで英語のピットマン式を応用したブラジル語の速記法が考案された。 |
1918年 | 日本の国会は貴族院と衆議院にそれぞれ付置機関として貴族院速記者練習所(のちに参議院速記者養成所)、衆議院速記者養成所を設置した。 |
1919年 | 中国の王怡が葉子派「王怡式」を創案した。 |
1920年 | 日本の毛利高範はオーストリアのファウルマン式を基に初の草書派「毛利式」を創案した。 |
1920年 | グレッグは1933年のちに「ビジネス教育世界」となる「アメリカの速記教師」を編集した。 |
1921年 | 記音学研究所の中に、ピットマンは商業検定試験を設けた。 |
1921年 | チェコスロバキアで、へロータ A.Herouta (1860-1943) のへロート式とミクリカ S.Mikulika (1869-1952) のミクリカ式が融合されて「へロート・ミクリク式」が成立した。 |
1922年 | サー・アイザック・ピットマン&父子会社は「ピットマン式速記ニュー・イアラ版」を発行した。 |
1922年 | ネーサン・ベーリン Nathan Behrin がニューヨークで行われた競技会でピットマン式速記を用いて分速250語、300語(分速)を正確度99.64%の成績を挙げて世界記録を達成した。 |
1923年 | アメリカのコロンビア大学講師、エマ・ディアボーン Emma Dearborn は英語の「スピードライティング法」を創案した。最初はタイプライターを用いたが、1942年手書き文字による方式に変更された。60の書記規則と100の略語を用いた。28カ国の言語に翻案された。 |
1924年 | ドイツで統一方式「アインハイツ・クルツシュリフト」が創案された。 |
1924年 | ロシアのサカロフが「サカロフ式」を創案した。のちに、国家統一方式となる。 |
1926年 | 朝鮮の林容徳が日朝両用速記法を創案した。 |
1927年 | ハンガリーのラドナイ Bela Radnai がファブロ式を改良して草書派「ラドナイ式」を創案した。 |
1927年 | 朝鮮の金ハントウが「ウリマル速記法」を創案した。 |
1929年 | グレッグ式速記法の50年祭。グレッグの「言葉の頻度法」(Gregg's frequency-of-words method)が導入された。1916年式を改良した「アニバーサリー式」が公表された。 |
1930年 | 日本の川口渉らは「早稲田式」を創案した。 |
1931年 | 日本の森卓明は中根式を改良し、「超中根式」を創案した。 |
1931年 | 日本の古久保峯吉(国字寿光)が国字式を発表した。正円幾何派に楕円ダイヤグラムズを加えた点が特徴。 |
1932年 | 「高速度筆記法」(The Hy-Speed Longhand)がアメリカで最初に出版された。これはアンドリュー・J・グレイアムの簡略文字に基づき発音しない文字の省略、母音の省略、代用文字、数字、サイン記号、接頭辞、接尾辞等をつくり早く書けるように工夫された。 |
1933年 | ロシアの国家統一方式「GESS」が6月10日、成立した。サカロフ式がベース。 |
1934年 | 朝鮮の金勇虎が「朝鮮速記法」を創案した。 |
1936年 | 朝鮮の姜駿遠が「姜駿遠式」を創案した。 |
1938年 | 中国の唐亜偉がグレッグ式を応用して「亜偉式」を創案した。 |
1940年 | グレッグの「新高速度コース」が夜間学校、全日制学校へ導入された。 |
1944年 | 日本の機械速記法「ソクタイプ」が特許を取得した。発明したのは、佐伯功介、川上晃。 |
1946年 | 大韓民国の張基泰が「逸波式」を創案した。 |
1946年 | 大韓民国の朴松が「朴松式」を創案した。 |
1947年 | 大韓民国の朴寅泰が「中央式」を創案した。 |
1948年 | 大韓民国の李東根が「東邦式」を創案した。 |
1948年 | ジョン・ロバート・グレッグ John Robert Gregg が死去した。マグロー・ヒル社はグレッグの全業務の権利を得た。 |
1949年 | グレッグ式の「シンプリファイド式」が公開された。 |
1949年 | 「ステノグラフ」(Stenograph)がアメリカで商標登録された。 |
1950年 | アメリカのマニュエル・クロード・アバンシーナ Manuel Claude Avancena は1607年のステノスクリプトABC速記を改良して筆記体と句読点だけを用いる表音主義の速記を創案した。速記文字は頻出語24の必須略語を設定した。 |
1950年 | アメリカのレオン・シェフは「デアボーン・スピードライティング法」を改良した。 |
1950年 | 大韓民国の金世羅が「世羅式」を創案した。 |
1950年 | 「フォークナー式速記法」Forkner's shorthand がアメリカで公表された。 |
1950年 | アメリカで「ステノスピード速記」Stenospeed High Speed Longhand が創案されたが,翌1951年改良され、「ステノスピードABC速記」Stenospeed ABC Shorthand として学校で指導された。 |
1951年 | 英国ジャーナリスト訓練会議がグレートブリテンに設立された。 |
1951年 | 日本の山根祐之は国字式を改編し、「山根式」を創案した。 |
1952年 | 全国法廷速記者協会は、機械速記者のための第一回の高速度競技会を開催した。 |
1952年 | 中国の顔廷超はソ連のGESSを中国語に応用し、「斜体式速記」を創案した。 |
1952年 | ジェームズ・ヒルは、グランサム Grantham 大学で新速記法の実験を行った。 |
1952年 | アメリカのハムデン・フォークナー Hamden Forkner が「フォークナー・アルファベット速記法」を創案した。 |
1953年 | 日本の機械速記「ソクタイプ」による速記官が初めて速記業務に就いた。 |
1955年 | R・ラザルスキーとJ・カチュマレクがロシア統一方式(GESS)を翻案して「ポーランド統一速記法」JESS が成立した。 |
1956年 | サー・アイザック・ピットマン&父子会社は、ジェームズ・ヒルの新速記法出版を断った。 |
1956年 | 大韓民国の南相天が「南天式」を創案した。 |
1957年 | 日本の森卓明はクロス式理論を参考に、超中根式を改良し「中根式表象法」を創案した。 |
1959年 | ユーゴスラビアのファクサ R.Fakkusa が草書派の「ファクサ式」を創案した。 |
1960年 | ユーゴスラビアで「A.Hadzi-Mitov式」が創案された。 |
1961年 | ブラジルで英語のグレッグ式、フランス語のプレボ・ドロネ式を応用したブラジル語の速記法が考案された。 |
1963年 | グレッグ式速記法の「ダイヤモンド・ジュビリー」(60年版)が公開された。 |
1965年 | ユーゴスラビアで「Jedinstevena Stenografija式」が創案された。 |
1965年 | 日本の小谷征勝は母音の同列同方向理論に基づく「小谷式」を創案した。 |
1968年 | 「ティーライン(Teeline)式速記法」の第一回の公開デモンストレーションが行われた。 |
1969年 | 「ベーシック・ティーライン式高速筆記教材」がハイネマン(Heinemann)によって出版された。 |
1968年 | 大韓民国国会は国会速記士養成所を開設した。 |
1969年 | 大韓民国は「高麗式」にかえて「議会速記方式」を指導した。 |
1970年 | 「ピットマンコレクション」がピットマン出版からバス大学(Bath University)へ移管された。 |
1971年 | 「ティーライン協会」の発会式が行われた。ティーライン教育会社が設立された。 |
1971年 | ジェームズ・ヒル James Hill が1971年6月2日死去した。 |
1972年 | 「ティーライン式基礎、上級基本語彙リスト」('Teeline Advanced' and 'Basic Common Word List')が9月出版された。 |
1973年 | 「ティーライン式上級実践教材」('Advanced Practice Exercises'published for Teeline)が出版された。 |
1974年 | ピットマンは、「ピットマン2000式」と呼ばれる法廷速記以外用の新速記法を公表した。 |
1975年 | サー・アイザック・ピットマン&父子会社が「ピットマン・リミティッド」に改組した。 |
1978年 | グレッグ速記90周年を記念して、マグローヒル出版は「グレッグ90年式」を公表した。 |
1982年 | ピットマン会社(Pitman Ltd)が公的有限責任会社(a public limited company)に改組された。 |
1985年 | ピットマン検定試験研究所 The Pitman Examination Institute が「ロングマングループ」the Longman Group へ売却された。 |
1987-1988年 | ティーライン教育会社による第一回検定試験(全方式対象)が行われた。 |
1991年 | ロシアのサカロフ N.N.Sokolov が90歳で死去した。GESSのベースとなったサカロフ式の創案者。 |
1994年 | 中国の唐亜偉は電子機械速記法「亜偉速記」を創案した。 |
1995年 | 韓国の漢陽大学、金漢宇は電子機械速記法「CAS」を開発した。 |
1997年 | バス・プレスグループ社(元サー・アイザック・ピットマン&父子会社の一分野)は、ピットマン没100年を記念して「サー・アイザック・ピットマン。1813?−1897 略伝」(Sir Isaac Pitman 1813-1897- A Biographical Sketch)を再版した。 |
1998年 | 日本の最高裁判所は速記官の養成を中止した。 |
2000年 | 技能検定試験での「ピットマン」という言葉の使用に関して「ピットマン教育&訓練会社」を相手取り、「サー・アイザック・ピットマン&父子会社」による商標事件が発生した。 |
2002年 | 日本で同時反訳型電子機械速記法「CAVER」が開発された。小谷征勝、鈴木努、加古修一、兼子次生。 |
2003年 | 日本の中根康雄は中根式を改良「新中根式」を創案した。 |
(edited by Historian Tsuguo Kaneko,2005.2.19) |