飽くなき改変の連続であった

 そんな石村先生の速記方式開発研究の歩みは、50音基礎符号の改変の歩みでもあると言ってよいだろう。

 我々、一部の速記研究者の間でも、「これでもか」というほどの飽くなき改変の連続であった。

 もちろん、基礎符号レベルでの改変は、学習者の学習の連続性や、学習者同士の連結一体性を損なう部分も少なからずあるだろうし、実際あったであろう。

 そしてまた、石村先生の速記法改変の試みは、基礎符号のみならず、特に濁音表示法、長音表示法といった部分でも、試行錯誤の繰り返し、表示手法の何とおりもの組み換えの歴史でもあった。

 「書きやすさを重んじる」ということと同等にと言ってもよいだろうか、「読みやすさを重んじていた」という点も、あえて言うまでもなく石村先生の速記法から分かる点である。

 「書きやすさ、読みやすさを重んじる」というのは、世の速記研究では当たり前といえば当たり前のことでもあろうが、石村先生の研究においては、殊に清音と濁音の明確な区別、 つまり濁音表示の方法をいかに確保するかということが、一番特徴の感じられる点でもあった。

 実際に濁音や長音をどのように表示するかという具体例はここでは挙げないが、まず、「書きやすさを重んじる」という部分から、 石村先生の速記法に生じた諸論点といった部分として私が気付き思ったことをここから述べたいと思う。



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