綱紀の継承者

 綱紀の継承者とも言える子の一は、1908年(明治41年)には既に速記者として活動していた。

一が学び用いた符号は、恐らく綱紀によるところの「斜線によるサ行、タ行」符号を含むものであったと推察される。
それに加えて、その時代までに速記界にあらわれた各派の速記符号の流れをも研究、応用したであろうことも推察されるし、 そこにさらに自身の創意工夫、発案を加えていったのではなかろうか。

とにもかくにも、その後、自身の研究開発による51年式、60年式、67年式、76年式と、次々に新速記方式の創案者として並々ならぬ研究成果、速記界に与える影響など、 大なるものを残していった一であった。綱紀の研究もさることながら、子息の一も立派である。

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