中根式及び中根式系統についての評価

 『通俗中根式速記法』と超中根式の出現

 従来の中根式では教科書類(テキストも含む)などに、中根式の長所ばかりを強調しすぎていて、短所については余り触れられておりません。中根式には欠陥がないのだろうかという疑問が必ず起こるのは当然です。

 では、なぜ中根式では各体系や新方式が派生したのか。中根式はなぜ全国で法則体系が違うのか。ということを中根式の指導者は当然、知っていなければなりません。

 今までの教科書類をうのみにすれば、中根式は大正3年5月10日に発表されたままで法則的にも改良したり、新たに法則を新設する必要は全くないはずです。

 中根正親が大正3年6月に京都で「京都速記学校」を設立されて中根式の指導が開始されましたが、大正8年8月に講習会を行い、同年の年末ごろ(?)には「京都速記学校」を廃校しております。

「京都速記学校」では、同時期に中根正親と中根正世の符号体系が指導されておりました。大きな違いは基本文字の角度変更、助詞符号、法則の整理・追加です。中根正世は中根式の改良と大成をされて、昭和2年11月に「通俗中根式速記法」をまとめております。

 森卓明の方は大正13年に「京都速記研究所」を設立して大正14年6月から大正15年2月に「中根式速記法通信講座」(全6冊 A5版 300ページ)をまとめております。中根正世と森卓明の符号体系とはこのころから異なり始めております。

 中根正世が昭和4年7月に東京で中根速記学校の前身である「中根速記学院」を設立して中根式の指導が本格的に開始されました。

 森卓明は昭和4年8月に「中根式を基礎としたる和語縮字法」(A5版 60ページ)を発表して、後の超中根式の一部分が公開されました。

 当時の中根式速記界は、中根正世の「通俗中根式速記法」で速記体系も十分に間に合っていたと見るよりも、まだ中根式の学習者が少なく、速記実務者も少なかったと見るのが現状認識ではないかと思います。

 中根式を歴史的に見れば、森卓明が昭和6年12月に「超中根式速記法」を発表してから中根式の短所が見え初めてきたと言っても過言ではありません。

「通俗中根式速記法」と「超中根式速記法」を比較した場合、従来の中根式を習得した人たちに大きな影響を与えたことは容易に推測ができます。

 中根速記学校では、昭和6年10月ごろから池田正一が中心になり「研究会」ができて、独自の研究が開始されました。中根速記学校では和語縮記法の一部分を略字として幾つか取り入れた程度です。

 超中根式の発表により、中根速記学校の体系にも大きな影響を与えられて研究の必要が迫られたのではないかと推測できます。超中根式が発表された時期と中根速記学校内で池田正一が中心になって研究会をつくった時期がほぼ符合しております。