関東系と関西系

 地方では「通俗中根式速記法」の体系が使用されており、中根速記学校内では「通俗中根式速記法」の体系に新しい法則を追加していくことになり、独自な速記体系ができ上がっていきました。 中根速記協会機関誌:中根式速記(後に「速記研究」及び戦後の「速記時代」)には新しい法則が逐次発表されております。

 主なものを年代順に拾ってみると、

  • 昭和6年5月号:〇ウ〇ウ(中根正世)
  • 昭和6年12月号:特殊略法(中根正世)(*交差法)
  • 昭和8年5月号:万能縮字(中根正世)(*和語縮字)
  • 昭和11年5月号:〇ッ〇リ(中根速記学校)
  • 昭和11年12月号:加点インツクキ法(中根正世)
  • 昭和16年3月号:加点字省略考(中根速記学校:北村薀雄)(*ウ・ス・ヌ・ム・ル)   
  • 昭和24年6月号:助詞「ニ、ヲ」及び符省法(中根速記学校:池田正一)
  • 昭和24年8月号:ウ・ス・ヌ・ム・ル(中根速記学校:池田正一)
  • 昭和25年3月号:動詞助動詞語尾省略法(稲垣正興)
  • 昭和26年7月号:最小線の考え方(稲垣正興)
  • 昭和26年10月号:第二助詞(中根速記学校)
  • 昭和26年11月号:特殊上段(中根速記学校)
  • 昭和27年2月号:逆記符号の省略(稲垣正興)
  • 昭和31年5月号:「あります」などの略字考(池田正一)
  • 昭和32年5月号:助動詞をきわめよう(森下 等)
などがあり、このほかに機関誌に発表されない法則が中根速記学校内では指導がされていたはずです。ところが中根速記学校では「超中根式速記法」の体系を採用することはありませんでした。 関西方面の中根式関係者は「超中根式速記法」の体系を取り入れていきました。

 ここに関東系と関西系における体系の違いが生まれることになりました。中根速記協会本部と森卓明との関係がうまくいっていなかったと見る方が自然ではないかと思います。

 また関東系の中根式でも土田利雄のように中根式に満足せず昭和9年6月に「土田式速記法」を発表するようになります。詳細は「日本速記方式発達史」に掲載されております。

 土田利雄は、中根速記学校の出身ですが「土田式速記法」で中根式を痛烈に批判しておきながら、中根速記協会及び中根速記学校で問題にならなかったとは考えにくいし、 昭和12年10月に中根速記協会から当時は最高位の「4段」を授与されております。東京日々新聞社に在職していました。戦後の速記界では土田利雄の名前が出てきません。