進化する中根式 関西系の中根式から中根式を否定して、昭和5年10月に岩村学がカナ速記の岩村式、昭和6年2月11日に古久保峯吉(国字常弘)が国字式を発表しましたが、自然消滅しております。 中根式からの派生方式と見ると、中根式が完全無欠な方式とは言いいませんが、私は「基本的な法則体系の構築」がしっかりしており「研究に値する方式であった」と思っております。 中根式の場合は旧法則を廃止して新法則をそのまま運用できる方式です。中根式内でも研究者が続出して、後に〇〇の体系と言われるように、戦後になってから同じ中根式でありながら法則体系の違いが見られるようになりました。 中根式関係の文献類などを年代別に見ると戦前では中根正親、中根正世の著作以外に森卓明、本山桂川(中根正親の体系であり、本名ではないと思うが……)、 森卓明の系統の宮川正光、浜田喜一、中根速記学校の北村薀雄に指導を受けた武部良明ぐらいしか見当たりません。 戦後になると中根式の習得者がかなりふえた関係もあり、各地の教授所などでは独自の教科書類が発行(ガリ版刷りも含む)されました。 戦後はガリ版の普及によるものと考えられるし、昭和40年代後半にはコピー機の普及により、あるいは昭和60年代にはワープロやパソコンの普及により速記の文献作成が容易になりました。 1つの方式が長い生命を保っていくためには、一定の改良が必要になってきます。時代とともに言葉の変化に対応をした法則などを研究していかなければなりません。 日本速記130年の歴史をひもといて見ると、方式研究を怠った方式は自然消滅していることは歴史が如実に物語っております。 速記界で100年の歴史を有する中根式は、各研究者によって新しい法則が研究されてきましたし、体系的に古くなった法則を廃止しております。 裏を返せば「速記指導者」は「速記研究者」であり、自分自身の法則体系を組み直し、テキスト作成の能力も要求されます。常に時代に沿った研究をしていかなければ、その方式は生き残れません。 また「速記指導者」は、中根式の各体系や廃止をされた法則等についても知識として知っておかなければなりません。
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