至難の業
僚誌「速記時代」の前身である「速記」の3号(昭和24年6月号)で協会本部の池田正一氏は、そのトップ記事で「研究発表を 待望す」として、次のような一文を発表している。 どうやら書ける程度に上達すると、ほとんど全ての人々が実務速記に携わってやがて専門速記者への途をたどり、その中でほん の少数の人々がさらに進んで高次の研究へと志していく。 この行き方の相違によって研究の方向が自ら違ってくる。前者は専ら基本文字、あるいは基本システムはそのまにした書き方の 工夫、改善へと比較的安易な方向を選び、後者は基本文字、あるいは基本システムまでさかのぼって理論的改変の方向へと進んで いくようである。(略)これは極めて少数のようである。 なぜならば1つの方式で(略)熟達したその技術を拠って理論的に基本文字、あるいは基本システムを全面的に改変するには、 それを組み立てるまでに相当の時日を要するばかりではなく、さらに練習、修熟までに長年月を費やさなければならぬし、もし研 究がどうやら大成したとしても、我が国斯界の現状では、これをもって1つの権威ある速記方式にまで発展せしめることは極めて 至難な業であるからである。 何となれば1方式として社会的信任を得るには出版、指導、宣伝等々経済的にも、精神的にも到底凡庸のなし得ない莫大な負担 であり、あえてこれをしなければせっかく長年月を費やして大成した苦心の研究もただ徒に文献的存在に終わるという結果になる からである。 私は50音符号にまでさかのぼって、その改変を論じているのであるが、まこと池田氏の言うように、それは「至難の業」なので ある。 |